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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


岡本 わが町

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中島俊郎編『岡本 わが町 岡本からの文化発信』(神戸新聞総合出版センター、二〇一五年四月一〇日)を恵贈たまわった。御礼申し上げます。上の地図は巻頭口絵より「兵庫県摂津国菟原郡 本庄九ヶ村/山路庄三ヶ村 全図」(明治十二年、白い部分が岡本)。凡例の表記がなんとも愛らしい。

《岡本は芦屋と住吉の間にはさまれた、人口一万人足らずの小さな街である。岡本に半世紀暮らし、個人一人ひとりの姿勢、意見、生き方を根本にすえながら、お互いが共有できる「ひとつの歩み」を、本書で示すことができれば、その目的は果たせたと考えていいのではないだろうか。
 これは岡本という町のいわば〈自分史〉、〈個人史〉なのである。郷土史というような大上段に構えるつもりなどさらさらない。しかし、岡本に暮らしてきただけの感想に過ぎない、とは考えてはいない。住民が互いの意見を共有することで、自らを見直すきっかけを提供し、この土地に住むということを確認したいものだ。》(「はじめに」中島俊郎)

神戸に住んでいた頃、ときおり岡本、摂津本山あたりに足を伸ばした。現在のようにいろいろなショップが建ち並ぶという感じではなかったものの、すでにそういうおしゃれな街として発展する途上ではあったように思う。震災(一九九五年一月一七日)の前日にも岡本で昼食を摂り、雑貨店で陶器の小皿などを買った。奇跡的にそのときの器は震災を生き延びた。だから岡本というと震災の前日を思い出す。あの平和な時間が一夜明けると一瞬にして地獄と変じた。

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同じく口絵より橋本桂園「丘本春装」(一八八八)。桂園は堺の人。岡田半江に学び山水花鳥をよくした。

……とそのくらいの岡本体験だったわけだが、本書は歴史、地誌、文化史の面から多くの識者が筆を執り、また古くからの住人の方々が思い出を語っておられる。きわめて興味深く岡本というものを多角的に知ることが出来る本だ。梅林、二楽荘、櫻守、大水害、だんじり…などが繰り返し語られるが、なかでも谷崎潤一郎が八年ほど住んだということが岡本知識人にとっては一種の勲章だということが分る。そしてまたその旧谷崎邸の保存運動が実らなかったこと、これがちょっとしたトラウマになっているらしいことも。

そういう意味では編者の中島氏が少年時代に旧谷崎邸でかくれんぼをしたことから「陰翳礼賛」の著者が明るい住居を好んだという矛盾するようなしないような説を紹介しておられるのがひとしお面白く感じられた。また「蓼食ふ虫」に挿絵を描く小出楢重の元(芦屋)へ出来上がった原稿を運ぶ人がいたというのも、今からでは考えられない話だ。小出は原稿を読んでも、内容に沿った挿絵はつけなかった。小説から受けた印象を絵にしたのだという。

もうひとつ谷崎の思い出として藤岡敏一「岡本に暮らして」のなかでこう語られている。

《谷崎潤一郎は岡本在住時、邸宅から以前岡本駅前にあった郵便局に通っていたのが目撃されています。当時は電話がなく中西商店をよく利用していたそうです。》

郵便局に通ったくらい当たり前だろう。しかしそれが伝説になる。文豪とはそういうものか。たしかに岡本の個人史である。


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by sumus2013 | 2015-04-05 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(2)
Commented by 牛津 at 2015-04-06 03:11 x
懇切丁寧なご紹介にあずかり、うれしく存じます。震災前日に岡本にいらしたとは知りませんでした。今では2軒の古本屋ができていますので、一度、足をお運びください。
Commented by sumus2013 at 2015-04-06 19:42
そうでしたか! それはぜひ訪問しないといけませんね。
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