林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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独習写真術

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竹内和一『独習写真術』(東京写真館、一九〇六年八月一五日)。発行所の東京写真館(東京市神田区旅籠町一丁目二十一番地)は竹内の経営していた写真館(写真店)である。竹内について詳しいことは不明。国会図書館に東京写真館発行のカタログが二種所蔵されている。

『東京写真館商品目録』(東京写真館、一八九八年)
『写真器械雛形 : 定価明細表』(東京写真館、一八九七年二月)

写真術といっても撮影法だけではなく機械の組立から暗室、撮影場(スタジオ)の構造、乾板、撮影、種板、印画焼付、鶏卵紙、現像液などの配合、用法……など写真術の全体にわたって解説されている。論より証拠、挿絵のあるページだけ紹介しておく。

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撮影法の注意点、第四はつぎのように言う。句読点を用いない表記法が珍しい(読点は使われている箇所もわずかにある)。

《家屋(たてもの)の側面(かわ)にて日光の直射(すぐあたら)せざる場所を選び被写体(うつるひと)の上部(うへ)に幕を張り若しくは茂りたる生垣美しき庭木雅致ある石燈籠等の傍(そば)に人物を置くも宜かるべし然ども何れの場合に於いても光線の分賦(くばりかた)は注意すること肝要(かんやう)なり》

ここを読んで思い出したのが尾崎紅葉「金色夜叉」(『読売新聞』一八九七年一月一日〜一九〇二年五月一一日、連載)。その中編第三章〜第四章、「写真の御前」なる有閑の変人が登場しているくだり。テキストは青空文庫より。

《赤坂氷川(あかさかひかわ)の辺(ほとり)に写真の御前(ごぜん)と言へば知らぬ者無く、実(げ)にこの殿の出(いづ)るに写真機械を車に積みて随(したが)へざることあらざれば、自おのづから人目を※【「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56】(のが)れず、かかる異名(いみよう)は呼るるにぞありける。》

《万足(よろづた)らざる無き閑日月(かんじつげつ)をば、書に耽(ふけ)り、画に楽(たのし)み、彫刻を愛し、音楽に嘯(うそぶ)き、近き頃よりは専(もつぱ)ら写真に遊びて、齢(よはひ)三十四に※【「二点しんにょう+台」、第3水準1-92-53】(およべ)ども頑(がん)として未(いまだ)娶めとらず。》

《殿はこの失望の極放肆(ほうし)遊惰の裏(うち)に聊(いささ)か懐(おもひ)を遣(や)り、一具の写真機に千金を擲(なげうち)て、これに嬉戯すること少児(しように)の如く》

《此方(こなた)の姿を見るより子爵は縁先に出でて麾(さしまね)きつつ、
「そこをお渡りになつて、此方(こちら)に燈籠(とうろう)がございませう、あの傍(そば)へ些(ちよつ)とお出で下さいませんか。一枚像(とら)して戴きたい」
 写真機は既に好き処に据ゑられたるなり。子爵は庭に下立(おりた)ちて、早くもカメラの覆(おほひ)を引被(ひきかつ)ぎ、かれこれ位置を取りなどして、
「さあ、光線の具合が妙だ!」》

紅葉が描いている時代がいつ頃なのかはっきりしないが、連載は日清日露間なので、「一具の写真機に千金を擲(なげうち)て」などは当時の写真術に対する考え方が投影していると見ていい。個人で写真機を所有して撮影するというのは金持ちの道楽だった。ただ上述したように東京写真館では写真材料のカタログも発行していたわけだから、それなりの需要はあったのであろう。あるいは他の写真館も顧客だったか。

ところが日露戦争が終った後、明治三十九年には本書のようなハウツー本(独習書)が必要になった。これは普及の面からすれば大きな進歩ではないだろうか。アマチュアの写真家が当たり前になるのもそう遠い未来ではない。大正時代の写真ブームについてはすでに紹介した。

『芸術写真(藝術写眞)』




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by sumus2013 | 2015-03-24 21:25 | 古書日録 | Comments(0)
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