林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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狐のだんぶくろ2

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『狐のだんぶくろ』の「帝都をあとに颯爽と」にこういうことが書かれている。

《昭和十五年、小学校六年の私は修学旅行で伊勢、奈良、京都とめぐったが、京都で行ったところといえば、わずかに平安神宮、建勲神社、豊国神社だけである。お寺には、ぜんぜん足をはこばなかった。これはなぜかというと、当時の小学校の皇国史観にもとづく教育方針で、神社というものを優先させていたからなのである。建勲神社は織田信長、豊国神社は豊臣秀吉をそれぞれ祀った神社で、彼らは朝廷に忠勤をつくした人物と見なされていたから、とくに小学生をそこへ連れて行ったのだろうと思われる。》

このくだりを読んで某書店で求めた上の写真を思い出した。鳥居を背景にした中学生(?)のたぶん修学旅行の記念撮影。別の神社の写真もあったのだが、この写真を選んだ理由は向かって右手の石柱に「橿原神…」と読み取れたからである。

昭和十五年といえば紀元二千六百年に当たる。各地で奉祝式典が行われ、橿原神宮へは昭和天皇の行幸があった。澁澤には京都の思い出しかないようだが、奈良へも行ったのだから、まず間違いなく橿原神宮も訪れたであろう。橿原神宮は神武天皇を祀る畝傍橿原宮があったとされる土地(奈良県橿原市久米町)に官幣大社として明治二十三年に創建されている。また澁澤の挙げた建勲神社は明治二年創建だし、廃絶されていた豊国神社が別格官幣大社に列したのは明治六年、平安神宮は言うまでもなく明治二十八年の平安遷都千百年にちなんで桓武天皇を祀る神社として創建されている。要するに澁澤少年が経巡った京都の神社はいずれも近代において造営された、というところに意味があるのだろう。

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もうひとつ。「滝野川中里付近」というエッセイでは祖母の使った言葉を取り上げている。澁澤の覚えている言葉をリストアップした。右側が祖母の言い方。

 醤油    オシタヂ(お下地) 
 お新香   おこうこう
 襖     カラカミ(唐紙)
 オニギリ  オムスビ
 陶器    セトモノ(瀬戸物)
 御飯    ゴゼン(御膳)
 便所    オチョーズバ(お手水場)
 うるさい  やかましい

オチョーズバで思い出したのだが、小生の母は便所のことをゴフジョウ(御不浄)と言っていた。また父のよく使う言葉を西鶴の何かの物語(今すぐ思い出せないのが残念)の中に見つけたときには驚いた。しかもそこには信長時代に流行ったと書いてあったのだ。西鶴の時代にすでに死語だったものが讃岐の片田舎で数百年後まで生き残っていたのである。

私はここで価値判断は一切抜きにして、ただ自分の子どものころの、いまではあまり使われなくなった言葉を思い出しているにすぎないので、どっちがいいの、どっちが悪いのといった話ではないのである。》

と澁澤は書いているのだが、「私の日本橋」というエッセイでは、祖母が「たいそう」という言葉をよく使ったことを例に挙げて

《今の若いひとは「とても」などと言うが、私はこの品のいい「たいそう」を、もう一度ぜひ復活させたいと思う。》

と価値判断をはっきり示している。ついでながら〈とても〉という言葉は澁澤が言うように最近では「非常に」という意味で使われることが多いようだ。しかし本来は「どうせ、どうしても、とかくして、とうてい」というような意味であって、〈とてもかうても〉〈とてもかくても〉〈とてものことにのように「いずれにしても、どうしてもこうしても、いっそのこと」という使い方もある。現在なら「とても〜できない」というのが本来のとても〉の用法だろう。みんなが使えば怖くない一例だ。そういう言葉がとても多い。






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by sumus2013 | 2015-03-14 21:05 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by 唐澤平吉 at 2015-03-15 09:00 x
小生の母も御不浄でしたが、父はカワヤ(厠)と言っていました。便所は言いかえの多い言葉ですね。日本人は言いかえが好きな民族なのかしら。

現首相はムキになると「すべからく」を頻発するクセがあるようです。小生はその用法がとても気になります(笑)
Commented by sumus2013 at 2015-03-15 14:35
すべからく内閣ですか……まさにその通りになっています。おそるべし。
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