林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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伝説の彦根

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宮田常蔵『伝説の彦根』(彦根史談会、一九五四年一月一五日、装釘=著者自画)。宮田常蔵はコックであり、俳人であり(高浜虚子に師事)、能楽師、野草研究家。俳号が思洋、画号が紫陽。レストランを経営していたというだけあって本書でも食に関するエッセイが目に留まる。

例えば「跡の絶えた彦根牛の味噌漬」。江戸時代から牛肉食は行われていた。井伊直弼が桜田門外で水戸浪士のために倒されたのは万延元年三月三日。

《その遠い原因は、徳川家世子問題をめぐって、水戸藩主徳川斉昭と井伊直弼の意見の対立も一つ、更にもつと原因をさかのぼると、牛肉を食わせよ、食わさぬと、まるで牛肉屋の前で喧嘩でもしている書生ッぽ見たいなことが、井伊家と水戸家を仲違いさすような事になつた。》

《もともと彦根は元禄時代から黄牛(あめうし)と云つて、特別に飼ひならした茶色の牝牛の肉を、養老の秘薬として味噌漬にして贈答に用いた。このことについては、大石内蔵介から、堀部弥兵衛に宛てた手紙も、京都祇園の万亭に現存して居り、それには
  口上、可然方より内々に到来にまかせ進上致し候、彦根産黄牛味噌漬、養老品故其許には重宝かと存じ候、倅主悦などにまゐらせ候ばかへつて悪しかるべし、大笑
   十二日   大石内蔵介
  堀部弥兵衛どの
 とあり、幕末の詩人頼山陽も、山紫水明荘でこれを食し、一詩を賦した記録もある。》

ところが清凉寺で修行したこともあった井伊直弼は殺生を好まず、領内での牛馬の屠殺を禁じた。従って黄牛の味噌漬も作れなくなった。

《ところが、一日、殿中で水戸斉昭は直弼大老をとらえて、
「近ごろ養老の秘薬を贈つてくれぬが、寒い折りには何より珍重である、是非この度も届けて呉れるように」
 と懇望されたが、謹厳な直弼のことであるから
「実は今年より国中で牛馬の屠殺を禁じたから、牛肉を食することができない」
 と断った。》

斉昭は再三牛肉を所望したが直弼はガンとして受け入れなかったそうだ。

《それでその後殿中で会つても、そつぽを向いていまいましがつた。その中に将軍世子問題が起り、牛肉の意地からも反対に廻つた。そして遂に彦根が水戸に斬られる騒動と相成つた。其時以来名物黄牛の味噌漬は途絶えてしまつた。》

まことしやかな伝説である。

千成亭 近江牛の味噌漬
http://www.sennaritei.co.jp/category/11.html

彦根名産には鮒鮓(ふなずし)もある。「米飯を腐らして作る鮒寿司」より。

《井伊家が彦根藩主となつて、直孝の時より例年徳川将軍家に、春秋二期に献ずるのが例となり、春を鮒鮓、秋を葉紅鮒と云つた。》

《鮒鮓というので、知らぬ人は押し鮓か握鮓のように思つているが、八寸から一尺二、三寸の大きな鮒を、丸のまゝ塩漬にして、一、二ケ月をおき、塩のまわつた頃、水洗いしたものに、焚きたての米飯を、腹やあぎとの中へ押しこみ、更に外側を米飯でつゝんで桶に漬け込み、水を張つて半年以上経てから取り出して食うもので、他の鮓は魚の味で飯を食するが、鮒鮓は米飯を腐らして得た特異の臭気の高い鮒を、飯を捨てゝ食するものである。鮒も、他府県の人の常識にはずれた、大きさであることを知る必要がある。味醂粕につけなおすと異臭が少なくなり、アミノサンを多く含んでいるので、絶好の保健食である。》

塩を大量に使い、米を腐らせて捨ててしまうとは、鮒鮓とはきわめて贅沢な食品である。以下いずれも蕪村句。引用は穎原退蔵『蕪村句集』(岩波文庫、一九四四年十刷)より。季は夏。蕪村はよほど鮒鮓を好んだとみえる。

 なれ過ぎた鮓をあるじの遺恨哉

 鮓桶をこれへと樹下に床几哉

 鮓つけて誰待としもなき身哉  明和八年

 鮒ずしや彦根が城に雲かゝる  安永六年

 鮒ずしの便も遠き夏野かな   明和五年

 鮓を圧す我酒醸す隣あり   (新花摘)

 鮓をおす石上に詩を題すべく (新花摘)

 すし桶を洗へば浅き遊魚かな (新花摘)

 真しらげのよね一升や鮓のめし (新花摘)

 卓上の鮓に目寒し観魚亭    (新花摘)

 鮓の石に五更の鐘のひゞきかな (新花摘)

 寂寞と昼間を鮓のなれ加減   (新花摘)

 夢さめてあはやとひらく一夜鮓 (安永末年、蕪村遺稿)

 木の下に鮓の口切るあるじ哉  (蕪村遺稿)


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本書の表4に貼られている書店レッテル。三密堂書店の向いにあったが、現在は百万遍へ移転している。

富山房書店(下京区寺町通仏光寺角)

富山房書店 左京区田中関田町2-14

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by sumus2013 | 2015-03-08 21:11 | 古書日録 | Comments(0)
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