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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


空海

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弘法大師の小さな木像を入手した。高さ93ミリ。塗りは漆のような気もするが、専門ではないのでよく分らない。手に持つ法具は失われている(右手に五鈷杵、左手に数珠)。台座には「立」?と墨書。おそらくかつては厨子に収められていただろう。ただこの汚れ方からみてかなり長い間、像だけで放置されていたようにも思われる。

弘法大師空海は讃岐国多度郡の生まれ。小生の実家も真言宗だったため小さいときから祖母に連れられて毎週のようにお寺参りのお供をした。薬師寺と千光寺というふたつの寺が贔屓(?)だった。どちらもおよそ歩いて二十分くらいの距離である。祖母は成田山にも何年かおきに参詣するほど熱心な信者だった。ところが祖母にペットのように連れられていた小生が覚えた念仏はナムダイシヘンジョウコンゴウだけだったのも情けないと言えば情けない。

薬師寺の現住職(だと思うが、最近会ってないので確かではない)は中学校の一年先輩で同じバレーボール部だった(というか入学時に薬師寺の先輩にスカウトされたのである)。高野山で修行した裏話を、もうかなり前に連絡船の中でバッタリ出会ったときに聞いた思い出がある。薬師寺には本堂を半周する地下洞窟が掘られていた。人一人がやっと通れるくらいの幅の通路にはスノコ板が敷かれ、途中に何箇所か祠堂のようなものがあってそこを順番に参詣する。蠟燭の光だけがたよりの薄暗い通路を祖母の後ろからついていくのが、ほんとに怖かった。あのひんやりとした湿っぽい岩の質感が今でも体にしみついている。

千光寺は保育園を経営しており、小生も二年間通わされた。千光寺(真言宗御室派、仁和寺が本山)は実家の檀那寺でもあり祖母も父母も現住職に送ってもらった。昨年は何十年かぶりで千光寺を訪問したが、建物はさほど変っていないようだったものの、とくに幼少時の記憶が甦ってくるということはなかった。お昼寝の時間が嫌いで『キンダーブック』が楽しみだった。

そういう昔ながらの風土に育ったわりには、根っからの不信心者だから信仰としての宗教には何宗であれ興味はない。ただ、思想としての宗教には多少のひっかかりを覚える。密教というのはインド仏教のなかでは最も新しい形態だった。そのため元来のブッダの思想からはかなり隔たった場所に到達してしまっているようでもある。中国へ入った密教がアヴァンギャルドだった時代、空海はそっくりそのまま密教を輸入して日本の宗教界(というよりも思想界か)にブランニューな一派を立てた。それはたちまち貴族階級を虜にした。そういう階級にアピールするゴージャスさ(あの豪勢な曼荼羅図を思い浮かべるだけでよろしい)を密教は持っていたのである。

この小さな弘法大師像を入手した次の日だったか、某書店の均一台に並んでいた上山春平『空海』(朝日新聞社、一九八一年九月三〇日)を買い求めた。司馬遼太郎の空海は読んでいたが、あれは小説。論文ふうの伝記が読めるかどうか危ぶんだ。しかしさすがに上山春平、じつに明快で俊才の走り過ぎ気味の筆がきわめて面白く、空海とその時代に改めて興味を掻き立てられた。空海そのものを読んでみたいと思っているところ。その『空海』の内容については明日。





by sumus2013 | 2015-02-21 21:39 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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