林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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今しかおへん

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川浪春香『今しかおへん 篆刻の家「鮟鱇屈」』(編集工房ノア、二〇一五年三月一日)読了。川浪さんが自ら篆刻の師と仰ぐ水野恵氏の祖父水野栄次郎の一代記を執筆した。明治十九年、金沢から京へ出て(一度台湾へ渡った後すぐに舞い戻って)判子屋へ奉公する。そこで天才を発揮して江戸時代以来の歴史をもつ印判司「鮟鱇屈」の看板を受け継ぐまでを自在な京言葉を操ってテンポよく描き切っている。

篆刻については、川浪さん自身が凄腕の篆刻家だから、じつに周到な描写で教えられることばかりだった。川浪さんの作品、一点だけだが、かつて紹介した。

児不嫌母醜
http://sumus.exblog.jp/7492948/

明治から大正にかけての京風俗もかゆいところに手が届くような描き方。それなりに昔の暮らしを知っているつもりでも(このブログでも折に触れて取り上げているように)、細部にわたっては思いの至らない場面が多々あることを教えられた。

判子についてなるほどと思ったのは「だるま」。

《だるまというのは、印材のひとつで、判子の本体に、鞘(さや)と肉池(にくち)が被せてある。そのころ認印は巾着形の財布に入れて持ち歩いていたものである。いちいち印肉を探す手間もいらず、使い勝手がよいという売れ筋の商品だった。
 一見、形が達磨に似ているのでその名前がある。》

その「だるま」なら小生も昔から所持している。しかしこれを「だるま」と呼ぶとは知らなかった。こちら。見返しに見えるのは水野惠氏の篆刻作品。

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著名なアーティストたちも数々登場する。栄次郎が息子の八百喜を京師第一の書家と言われた山本竟山の塾へ入門させるくだり。

《家は室町下長者町にあるという。
「そんなに竟山先生がよろしおすのどすか」
「何しか、同じご町内には絵師の小村大雲はん、富岡鉄斎はん。書家で漢学者の長尾雨山はんも住んだはる。そやから、あの辺りを天狗横町ていうにゃ」
「いや、えらい方がたんといやはりますな」
「そや、えらいとえいば、その鉄斎はんな。こないだ、お孫はん連れて『よろしゅう書のご指導を賜りたい』ちゅうて、わざわざ訪ねていかはったそうや、竟山先生のとこへ。あんだけ名の聞こえたお方が御自(おんみずか)ら頼みに行くて、そらたいていのことやおへん。そやろ」

富岡鉄斎邸跡
http://sumus.exblog.jp/14588833/

蛇足だが、ここで名前の挙がっている長尾雨山は讃岐高松藩士の家に生まれている。大正三年以来京都に住んでいた。また竟山先生はちっこい子どもを三人教えていた。

《「小川琢治はんとこのぼんぼんていうたはった。上が茂樹はん、次は秀樹はん、末っ子が環樹はんて、みーんな名前に樹がついたはって、面白かったわ」

と言うまでもなく小川三兄弟。小川茂樹、湯川秀樹、小川環樹。さて、後に鉄斎と栄次郎は直接対面することになるのだが、その次第は本書にてじっくり読んでいただこう。

驚いたのは水野栄次郎が奉公した福田印判所の福田武造はあの北大路魯山人の養父だった事実。ここでは兄弟子として栄次郎魯山人(房次郎)を仕込んだことになっている。魯山人伝にも一石を投じるような内容である。

もうひとつ、栄次郎は大丸百貨店の商標(大丸マーク)を案出した。例えば片塩二朗氏の「最後のパンチカッター・安藤末松」(『活字に憑かれた男たち』朗文堂、一九九九年)に《大丸百貨店の「丸に大の字」のシンボルマークです。これは安藤が制作したもので、文字の尖端をよくみると「七五三」のヒゲ状の縁起文字になっています》とあるのだが、本書ではこういうことになっている。

栄次郎はふと閃いた案を言ってのけた。
「こうっと。ふん、それやったら、いっそ髭文字はどうどす」
「へ、髭文字?」
 真鍋は意表を突かれたように、へええ、と唸って、すぐに身を乗り出して来た。
 栄次郎は顎を撫でながら、
「大という文字の第一画の頭にまず、こんなふうに三本髭を足しまっしゃろ」
 美濃紙に筆で横画を引き、縦画を左右に払って大の字を書く。それから、第一画の角に、ピンと細い髭を三本伸ばした。
「第二画の左払いは、一本に纏めんと、こういうふうに稲穂みたいに広げるのどす」
「ほ、なるほど」
「ひいふうみいよういつ、と五本の髭をつける」
「はぁ」
「最後の右の払いは、さらに二本ふやして七本髭にしますにぁわ」》

……これは明治四十五年の話とされている。大丸が商標として登録したのが大正二年(ちなみに安藤末松は当時六歳である)。水野栄次郎、大した男である。

大丸の歴史 商標
http://www.daimaru.co.jp/company/about/ci.html

他にもいろいろメモしているのだが、紹介はこのくらいで。近代史ではあまり光が当てられてこなかったジャンルを照らしてくれる労作であろう。





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by sumus2013 | 2015-02-17 22:16 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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