林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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晩年の父2

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小堀杏奴『晩年の父』よりいつものように書物関連など気になる部分を引いてみる。まずは父の書斎。

《死ぬ頃の父の書斎は玄関から近い六畳だつた。部屋は昼間でも暗く、夏になつて庭の樹木の葉が生ひ茂ると人の顔に青く反射して見え、冷い空気が感じられた。
 書物のいつぱい詰まつたガラス戸棚を背にして、疊の上にも積み重ねた本の間に机を置いて、父は埋まるやうに坐つてゐた。
 反対側の壁も、天井に届くまで本の詰まつた棚の層であつた。

《玄関にも本棚があつて父の蔵書の一部があり、此処には何時も書生がゐた。
 此の玄関から廊下を左に行つて一寸折れると南向に庭に面して父の書斎と四畳半が続き、四畳半の北に洋室がついてゐた。》

《此の四畳半から一寸板の間があつて洋室になつてゐた。
 一番最初私の覚えてゐるのは其処が兄の書斎であつた事だ。
 薬臭くて色んな本や、道具が並べてある。中でも恐ろしいのは白い骸骨がある事で、それ故私は一度も此の部屋に這入つた事がない。》

《庭のずつと北の隅に父の書物を入れる大きな土蔵があつた。
 土蔵の向うは隣家の海津[かいづ](多分こんな字だと思つた)と云ふ質屋になつてゐる。》《東向きに石段のついた入口があつて、黴臭い冷い空気の充ちた蔵の中には書物がいつばいつまつてゐた。
 入口に揃へてある藁の草履をはいて私は父の腰につかまつて二階迄登つた事もある。
 南に小さい窓があつて其処から中庭が見下された。》

神田の古本も登場する。

《これは随分晩年の出来事だから私は明瞭(はつきり)覚えてゐるが、其の日私は髪を切つた。
 そして今迄姉のお古ばかり貰つてゐた私が、初めてつくつて貰つた、黒地に様様の華美な色でやたら縞のある御召の新しい単衣を著て、父に連れられて神田の古本市に行つた。
 料理屋の二階にある、細長く折曲つた広い日本座敷に所所かたまつて、本屋が古本を山のやうに積上げて商ひをしてゐた。
 父は一つ一つの本の山の前で立ち止まつたが、大抵どの商人とも顔馴染になつてゐて、方方で引止められては話込むのであつた。
 かうして方方の本屋から少しづつ本を注文してゐる間、私は退屈になつてそこらに出てゐる画の這入つた本や、錦絵などを眺めてゐた。自分の本を買つた後で、父は私に女大学の本を買つて呉れた。
 これは今でも何んの意味も無く保存してゐるが、さうして実は其の中の挿絵を一寸見たきり詰まらなさうなので遂に一字も読まずに終つてしまつたが、父が買つて呉れたと言ふだけで大切にしてとつてある。》

「料理屋の二階」とあるが大正五年八月小川町に東京図書倶楽部ができるまでは古書業者の市会は錦町の松本亭、三崎町の吉田屋、青柳亭、鍛冶町の今金、猿楽町の天ぷら屋三亀などの席を借りて行われていた。『東京古書組合五十年史』(一九七五年再版)によれば

《神田青柳亭で開かれていた和本市が一、六の日、柏原徳蔵、伊藤福太郎、吉田吉五郎の市が五、八の日、それに素人のお客を加えたのが珍書会であったが、そこへさらに本郷の志久本の楠林らの和本市が加わり、それらが一つにまとまって常市会をつくったのが四十五年頃であった。これが東京古典会の前身である。

とのことで素人の客がのぞける市会もすでにあったようだ。

中西屋も出てくる。

《それなのにクリスマスが来ると二人は揃つて街に出掛け、子供達が知らない間に不断から欲しがつてゐる様様の玩具を買集めて、そつと家に運ばせるのであつた。
 かうした買物が遅く迄かかる時には、二人は竹葉や天金や方方の料理屋で食事をした。
 長い吊鐘マントを著た父が母と二人で中西屋の飾窓を覘込んでゐる姿が眼に見えるやうな気がする。》

《薔薇色のジャケツを貰つた上に、中西屋で雑誌「赤い鳥」から発行した童話集を二十冊ぐらゐ一度に買つて貰つた。
 其の他にも色色の玩具があつて、最後のクリスマスは忘れられない程楽しかつた。》

明治の中西屋店頭風景
http://sumus.exblog.jp/13651057/




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by sumus2013 | 2015-02-11 20:17 | 古書日録 | Comments(0)
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