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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


大日本国民専用実地有益大全上巻

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田村美枝編輯、石橋中和校閲『鼇頭大日本国民専用実地有益大全 上巻』(兎屋支店、一八八六年六月出版発兌)。下巻を先に紹介してしまい、順序が逆になったが、上巻にも興味深い記事が満載である。

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口絵「実地有益博覧会之図」。左側は「現今有益書籍販売」となっており、書店の様子が描かれている。和漢洋の書籍が並んでいるようだ。

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巻頭の版元の挨拶文「謹言」。兎屋だからか、ウサギが平伏しているのが可笑しい。みょうに鼻先が長いが……。石塚純一「「うさぎや誠」考 明治初期のある出版人をめぐって」という論考がPDFで読めるので検索参照されたし。やはり鼻が高いウサギさんだったようだ。

上巻の目録を掲げておく。

○行政諸規則之部
○諸願届之部
○証書々式之部
○記事論説之部
○祝文之部
○詩作之部
○和歌之部
○同用文章之部
○女文章之部
○諸礼式之部
○修身学之部
○修身箴譚之部

行政諸規則」のなかに「出版条例 明治八年九月/第百三十五号布告」の写しが出ている。これは参考になった。今まで読んでいなかったのが迂闊であった(近代デジタルライブライリーで全文読めます)。

明治八年 法令全書
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787955/143

多くは「版権」についての規定である。著作権についての規定はないが、この条例も著作権に近い内容を含んでいる。

《第十四条 他人ノ著訳書ヲ出版スル者必ス著訳者ノ承諾ヲ得可シ其版権願書若クハ出版届書ニハ必ス著訳者ト連印スベシ

 第十五条 版権ヲ得タル者ハ他人其条章ヲ剽窃スルヲ許サズ
       但論弁若クハ証明スル為メニ引用スル者ハ此例ニアラズ》

奥付の表記についても規定があった。

《第二十一条 出版ノ図ニハ著訳者ノ住所氏名ヲ記ス著訳者ノ氏名ヲ知ラザルベカラズ者ハ其由ヲ記ス可シ而シテ何年月日出版或ハ何年月日版権免許ト記シ版主ノ住所氏名ヲ記ス可シ氏名ヲ記セズシテ別号ヲ記スコトヲ得ス

なるほど《別号ヲ記スコトヲ得ス》だから奥付では夏目金之助、森林太郎としてあるわけだ(いまさらですが)。

大見出しには見えないが英単語の絵解きもあってこれがまた面白い。当たり前だけれど日本の情景に置き換えてある。ポエトは詩学者か……。ペインターが「画術」となっているのは誤訳ですな。英語にならって左から右へ横書きしているのにも注目。

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小学校と幼稚園の様子も目に留まった。

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小学校を卒業するを祝する文の挿絵。これが小学校卒業式の一典型と考えていいのだろうか。塀が高いなあ。正装した大人たち。花で飾られたアーチの門、提灯の飾り付け。桜はまだ植えられておらず(桜が学校に植えられるようになるのは明治時代の後期)、松が枝振りを誇っている。

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幼稚園開業の祝文に付けられた挿絵。明治十年代の幼稚園。世話をしているのは男性のようだ。

就学前の幼児教育施設として(日本で)実際に設けられた最も早いものは、1875年(明治8年)12月に京都上京第三十区第二十七番組小学校(後の柳池小学校、現在の京都市立柳池中学校)に付設された「幼穉遊嬉場」(ようちゆうきじょう)である[2][3]。これはフレーベルのキンダー・ガルテンに倣って、官民一致で設けられたものであるが[2]、それは1年半しか存続しなかった[3]。
キンダー・ガルテンの訳語として「幼稚園」を最初に名乗ったのが、1876年(明治9年)に開園した東京女子師範学校附属幼稚園で、現在もお茶の水女子大学附属幼稚園として存続し、これが日本で最古の幼稚園とされる。 1879年(明治12年)4月1日には鹿児島県が東京女子師範学校附属幼稚園より日本人保姆第一号とされる豊田芙雄を招聘し、鹿児島女子師範学校附属幼稚園を開園させている。さらにこの年の5月3日には大阪市に大阪府立模範幼稚園が(その後廃園となったが、現在の大阪教育大学附属幼稚園は同園を前身と位置づけている)、6月7日には仙台市に仙台区木町通小学校附属幼稚園が相次いで開園し、これ以降、幼稚園教育が地方へと展開していく[4]。また現存する私立幼稚園としては1886年(明治19年)に石川県金沢市に英和幼稚園として開園された北陸学院短期大学附属幼稚園がある。
この時代に開園し、今日まで現存する園舎については1880年(明治13年)に開園した大阪市中央区の大阪市立愛珠幼稚園の木造園舎(1901年(明治34年)竣工)が日本最古のものとして知られ、岡山市の「旧旭東幼稚園園舎」とともに重要文化財に指定されている。

以上ウィキ「幼稚園」より。たしかに次々開園してはいたようであるが、祝文の例が必要なほどだろうか? 少なくとも読者(購読者)としてそういう階層の人々を想定していた、ということは言えるかもしれない。

幼稚園の図に描かれた築山にソテツが見える。小生が通った中学校にも門の脇にソテツが植えられていた。ソテツと学校、そういえば役所の前などにもよく見かけるような気がするが、明治時代から関係が深かったことが分る。

ソテツは室町時代に輸入されたようで桃山時代から江戸にかけて流行し寺院や武家の庭園の随所に見られるようになった。異国情緒が好まれたらしい。強い植物で手がかからないというのも普及した理由のひとつかも……などと本書から紡ぎ出される連想はとどまる所を知らない。




by sumus2013 | 2015-02-03 21:15 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by 根保孝栄・石塚邦男 at 2015-02-08 18:53 x
面白いブログで興味あります。
何か、わくわくするものが
眠ってないか・・と気になりますね。
Commented by sumus2013 at 2015-02-08 19:50
実地有益大全にはいろいろ眠っているようです。
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