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松阪帰庵松阪帰庵の一行書「長江鴨洗頭」。昨年入手していたもの。この文言は明代臨済宗の僧『象崖珽禪師語錄』の第三巻にある問答から(ただし他にも用例はあるようだ)。 四方八面來時如何。 霧裏龍生角長江鴨洗頭自有藏身處堪笑不堪愁。 四方八方からやって来たときはどうする? 龍は霧の中、鴨は長江の水、だれにでも身を置くところはある、心配無用……というような解釈でいいのだろうか。 帰庵は明治二十五年岡山の美作町生まれの僧侶。昭和五年に父旭宥の後を継いで岡山市三野法界院住職となっている。昭和三十四年に歿するまで法務のかたわら書を学び、書を楽しみ、歌を作り絵も数々描き残した。「いま良寛」と呼ばれたという。 たまたま古本屋の反故箱から拾い上げた「今様良寛帰庵和尚遺墨展」のパンフレット(東京日本橋三越本店、一九七一年、観音折り一枚)を見て初めて名前を知ったのだが、ここに載っている秦秀雄の一文によれば『季刊銀花』一九七〇年春号に秦が紹介記事を書いてから有名になったらしい。 秦は昭和四十四年正月初めて帰庵を知った。のびやかな書風に惹きつけられ、早速岡山を旅して和尚の墨跡を尋ね歩き、その生涯について取材した。 《色衣を着ない。錦襴の袈裟をまとはない。いつも白衣に手染めの木綿の黒衣をつけ、三日に一度剃髪する。五十四年肉食妻帯しなかった。蚤や蚊をさへ殺生しなかった。この戒律僧が唯一の道楽趣味は習字と篆刻と自然田園の写生と歌作であった。それがどうした事か、終戦の年すゝめに従い結婚した。肉食さへ時に口にし酒さへもたまさか人にすゝめられゝば楮口に三ばいを口にした。外見の堕落。この外相を見て世評は今良寛と崇めていた清僧に厳しい批判をあびせかけた。 しかし多年の戒律をゆるめたのは意固地に自分という人間を人間らしい人間への解放ではなかったか。世人らしい世人、凡俗の暮し、その平凡な暮しの中にこそ仏道が密着して生きる道があると感づいたのは和尚にとって肌で感じた仏教の真髄の開眼ではなかったか。何事も無理をしない。この暮し方、生き方が多年の自分を戒めた戒律僧故にひとしほ感じいったことだろうと想像する。 この清僧から真僧への開眼開放が和尚の書にあらわれだしたのは和尚結婚後の事である。書家らしい上手な書風は一変してつゝましやかな書が豪放磊落な自由奔放の姿、形をとゝのえて来た。》 豪放磊落、自由奔放……どちらも少し違うと思うが、帰庵の生涯には興味深いものがある。心境の変化については敗戦が何らかの打撃を帰庵に与えたのかもしれないと思ったりもする。 同じくパンフレットに収録されている富岡大二「帰庵さんの歌」から何首か引いておく。文字遣いは原文のまま。繰り返し記号は繰り返しに改めた。 筆のさが かたくななれば わがさがを ふでにあわせて かゝざらめやも きみをおもい わがといくれば きみもまた われをおもいて ゐるところなり からばやと おもいしくさの あおあおと のびたるをまた うつくしとみつ きのかげの すゞしきもあり とにかくに ひとのこの世は たのしからずや 帰庵の作品は割合に数多く出回っているようだ。よって、そう高価ではない。もう数点欲しいところ。
by sumus2013
| 2015-02-02 20:36
| 雲遅空想美術館
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