林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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堀辰雄

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丸岡明『堀辰雄(人と作品)』(四季叢書2、四季社、一九五三年一一月三〇日)。函欠け、献呈署名入り。

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渡辺睦久は人文書院社長。人文書院は大正十一年に日本心霊学会として愛知県出身の渡辺久吉によって京都に設立され、昭和二年に今村新吉の命名で人文書院と改名した。昭和十九年、企業整備で京都印書館に統合、昭和二十二年に分離再開していた。

『堀辰雄』という書名だが、正面から堀を論じるのは二篇だけで、軽井沢を中心に立原道造や津村信夫、竹中郁らのことを綴りながら堀辰雄の周辺を描き出そうというエッセイ集。

堀には「旅の絵」という優れた神戸紀行がある。丸岡も「海港詩人 九年四月二十一日」と題して神戸を案内する竹中郁のことを書き残してくれている。友人Sの結婚披露宴に出席するために神戸オリエンタル・ホテルへ出向いたときのあれこれ。

《竹中氏はタキシイドを着て、煙草を喫つてゐた。竹中氏と彼の奥さんとは大変よく似てゐる。しかし、いとこ同士とか、兄妹と云つたやうな似かたではなく、一人の人形師が作つた男女と云つた風だつた。
「……あのテイブルにね。ヂエームス・ヂヨイスがゐるよ。」
 と、竹中氏が僕に云ふ。
 広間には、幾組かの外国人が、古いこの建物内の落着いた光線を楽しむやうに、静かに話し合つてゐた。僕は外国人の一人一人の髪の色の違ひを、今さらのやうに変化があつて美しいと思ひ、神戸の街の色彩も、この美しさの延長に似てゐるなどと思ふのだつた。
 竹中氏がヂヨイスと呼んだ黒眼鏡の老紳士は、つれの真赤な帽子の女と、洋酒のグラスを触れ合せて、「チエリオ!」と、云つた。その声が、四階の披露の席を思ひ出された。もう人が集つた頃だらう。

竹中夫妻の描写は注目に値する。外国人がジョイスに見えるというのはいかにも新感覚の文学青年ではないか。丸岡が泊まったのはオリエンタル・ホテルではなく「HOTEL ESSOYAN」だった。中山手通り二丁目にあり、かつて堀辰雄もここに宿を取った(「旅の絵」にも登場)。

《僕の泊るのは、部屋数も十室足らずの三流ホテルであつた。主人夫婦はポーランド人らしいと云ふことだが、それは僕達の想像で、当てにはならない。ボーイとコックは、シナ人だつた。拭き掃除をする二人の女中だけが、日本人だが、年取つた方は、永年外国人に使はれてゐるためか、可笑しな日本語で話をするし、若い方は、血色の悪い顔をしてゐて、始終おどおどしてゐた。
 このホテルには、めつたに日本人など泊らないと、年取つた方の女中が云つた。》

堀が滞在したのが昭和七年、堀に勧められて丸岡はここに泊まることにした。この翌朝セントラル・ベーカリで朝食を摂り、竹中の案内で神戸を歩き廻るという描写があるのだが、それは省略する。








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by sumus2013 | 2015-01-23 21:10 | 古書日録 | Comments(0)
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