林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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歌と書

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吉澤義則『歌と書』(京都印書館、一九四五年一一月一五日)。敗戦後直ぐに出た本である。表紙と扉の模様は木版摺。吉澤(1876-1954)は名古屋出身。国語学者、歌人。東京帝大卒。広島高等師範から京都帝大の教授、同名誉教授。

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「はしがき」の日付は昭和十九年四月だが、どうもこの二十年の本が初版のようだから何らかの理由で十九年には出版できなかったのかもしれない。


見返しには墨筆で漢詩がしたためられている(肉筆)。漢詩の内容はともかく、前書きの意味がよく分らない。長享二年戌申林鐘日は一四八八年六月。歴史的には加賀一向一揆が富樫政親を討つという事件が起こった。「樵青叟」という号もちょっと変っていて気になる。本書の著者なのか、旧蔵者なのか……。

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写真版のなかから「奈良時代書写短歌 正倉院御物」。見た目は短歌というより漢詩なのだが。解説の一部を引用しておく。

《 □家之韓藍花今見者難写成鴨

初一字欠けてゐる。「妹」ではないかと察せられる。「妹が家の韓藍(からあゐ)の花見ればうつしがたくもなりにけるかも」であらう。

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第四章「平安時代の文化精神と大和魂」が面白い。「大和魂」は女子の言葉だったという説だ。まずその初出を挙げる。源氏物語少女巻に

《才(ざえ)を本(もと)としてこそ大和魂の世に用ひらるることも強う侍らめ》

とある。「才」とは学才および技能(書・歌・詩・管弦等)の才であって、大和魂の基礎はそれらの才だと説いている。

次いで「大和心」の初出を挙げる。後拾遺集の赤染衛門の歌に見えているのが最初だそうだ。大江匡衡が大江家の乳母を皮肉った歌「はかなくも思ひけるかなちも無くて博士の家の乳母(めのと)せむとは」(乳[=知]もないのに博士の家の乳母になろうとは)に対してこう返した。

 さもあらばあれ大和心しかしこくばほそちにつけてあらすばかりぞ

《知が無ければ無いでよろしい、大和心さへ賢かつたら、子供はそれにつけておけば問題はありませぬ》。

この用例に見るように女子の言葉だったヤマトダマシヒ(ヤマトゴコロ)に対立する概念が男子の用いる漢才(カラザエ)だったという。

《即ち、男子が漢知識を謳歌しつゝあつたのに対して、女子が固有の国民精神を讃美して、ヤマトダマシヒ(ヤマトゴコロ)と呼びはじめたものと見たいのである。

これらの対立概念は平安時代になって現れたもので、奈良時代にはそういう必要がまだなかった。漢才を持つ者がきわめて少なかった。では、平安時代の大和魂とは何を意味していたのか。

一、常識(今昔物語巻二十九明法博士清原善澄被殺強盗語第二十)
一、雄々しき心(大鏡、藤原隆家の記事)
一、世才(今鏡内宴巻、少納言通憲の治績)

以上のような用例を挙げた後、最後に一条兼良が紫式部の「大和魂」について《我が国の目明かしになる心なり》と解釈しているくだりを引く。すなわち「日本精神」の義であると。ところが鎌倉以降、武士の専有物のごとく「雄々しき心」とだけ解釈されるようになってしまったが、それは狭義であって初めはあらゆる階層において日本人が生まれながらにして享けた精神を意味したのだと結論している。

とにかくも「大和魂」が女子の用い始めた言葉だったというのはなかなかに意味深い。


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by sumus2013 | 2015-01-06 20:34 | 古書日録 | Comments(0)
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