林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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原崎俊一『詩作ノート』3

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原崎俊一『詩作ノート』(東京美術、二〇〇五年)に掲載されている日夏耿之介から原崎に宛てた葉書。昭和五年八月。北軽井沢の法政大学村妹尾別荘から出したもので、《秋から小生干係ノ雑誌が二つ出きて、最近の詩稿がおありでしたら数篇送つてよこして下さい。》と原稿を求める内容。

原崎の志太中学校時代の教え子に小川国夫がいることは(1)でご子息のメールにもあった通り。小川は「日夏耿之介全集月報」(第五巻、一九七三年九月)において原崎について書いており、それは本書にも複製されているので部分的に引用しておく。

《舊制中學の先生に原崎俊一という方がいて、彼が早稲田大學で日夏の教えを受け、師に深く傾倒していたからだ。私は原崎氏の文學談が好きだったし、特に詩の話が好きだったから、彼から日夏のことをよく聞いた。彼は、中學生だった私にそう噛みくだいた話をしなくて、自分が話したいままに話した。だからその内容はむつかし過ぎたけれど、いわば、日夏耿之介そのものが少年だった私に感じられるふうだった。》

《きっと早稲田大學の學生だった原崎氏が日夏の講義によって知ったころであろうが、彼の語るブラウニングやダンテ・ガブリエル・ロゼッティが、急に身近に感じられた。特に後者については、原崎氏が卒業論文に書いて日夏に提出したということで、話もくわしくしてくれたので、私は惹かれ、或る程度のことをおぼえたのだった。
 第二に、日夏自身の詩について思い返して見ると、その意味は充分に汲めなかったとはいえ、少年の私にも納得できる多くのことがあるように思えた。というのは、原崎氏自身が詩を書いていたが、それがよく解る氣がしたので、いわば、自然にその讀み方を延長して、日夏を讀んでいたからだ。》

また『藤枝文学舎ニュース』56号(藤枝文学を育てる会、二〇〇六年四月一日)の「くにおの談話室」というインタヴュー記事でも小川は原崎のことを懐かしく回顧している(同ニュースには『詩作ノート』の紹介文も掲載されている)。

志太中学のときに、原崎という先生がいたんだ。藤枝駅の近所にお住まいだった。原崎という先生は英語の先生で、ヨーロッパの知識がかなりあったんだよ。その頃、僕が志太中の頃は、世の中戦争一色でしょ。ヨーロッパかぶれの話なんかしていると、何んだあいつは、って言われちゃう時代だった。原崎さんもそういう世の中って寂しかったでしょうね。それで、お前に話せば少しは解るだろうって感じで、僕をとっつかまえてしきりと喋って来るんだよ。

《原崎先生が、どういうものをくれたかというと、彼は、早稲田大学の時に一生懸命勉強した知識を、藤枝なんかに来て披露する場がなかった。だから放課後とか通学の道々とかで僕と会うと、仕切り[ママ]と話をしてくれた。彼の専門はイギリスの詩だからね、名前だけ挙げると、マシュー・アーノルドという詩人。それとイギリス人で、詩人で絵描きのロゼッティ。その人は成功した。》

《黒海のほとりに住む人の哀しみ、悲恋、とかそういうのです。その哀しみの涙が溶けていて、その波になって寄せる、海水にも少し入っている、っていうような詩で、ロマンチックもいいとこだけど、原崎先生がいたく感動していてね。普通の人だったらついていけないかもしれないよ。悲恋の涙が黒海に溶け込んでいく、なんて原崎さんがのめり込んで言うからね。僕は、はあって聞いているんだ。

《その原崎先生の西洋に対する憧れがドッと出たのは映画です。彼は早稲田大学に進んだときに、映画監督になりたくて、松竹、蒲田に行ったそうです。映画監督になりたいって撮影所の門を叩いた。でも昔はみんなコネで採用したでしょ。早稲田大学の学生だって行って、僕を採用して下さいと言ってもだめですよ。彼は藤枝の青島では名家だけどね。粘って、毎日通うとかね、すればだけど。でも、いかに自分が映画に打ち込んでいたかということを言うんだ。原崎先生が挙げた映画の題名とか、僕はよく覚えているよ。みんなをあっと驚かせた映画『イントレランス』。それからアベル・ガンス監督の『鉄路の白バラ』[鉄路の白薔薇、一九二三]。僕は見たこと無い映画だよ。》

《とにかく原崎先生はすごかったよ。》

(2)で触れた「恐ろしい日々」は小川が語る映画への情熱と関係しているのだろうか。年譜によれば、昭和五年三月に早稲田を卒業し、昭和六年五月に横須賀商業学校に赴任している、ということは一年間の彷徨時代があったと考えてもいいのかもしれない?






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by sumus2013 | 2014-12-28 19:54 | 古書日録 | Comments(0)
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