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原崎俊一『詩作ノート』2原崎俊一『詩作ノート』に掲載されている「詩作ノート」原本の写真。記載の年月日がはっきりしないものが多いが、どうやらおおよそ戦後のもののようである。二十歳の頃のノートや三十の頃のノートから書き写したと断り書きのある作品も見える。 同じくスクラップされている『焼津高等学校新聞』(昭和三十八年七月)に掲載されたエッセイ「わが青春を語る」では詩との関わりを以下のように回想している。中学卒業は大正八年。 《私は早稲田の大学予科に入ることにした。 中学の終り頃であったか、詩人の日夏先生が「中央公論」に極く稀に書いていた。とてもよくは解らないものであったが何かしら「宿世の縁」とでもいったような親しいものを身内に感じていた。そういうものがあって、私を先生のいる大学の方へと何となく引きよせたように思う、父は、とりえのない平凡鈍才の私に、商科へでも進むように考えていたが、そこでは、私は自分を何か場違いの異邦人のように感じられて、いつとはなしに、殆ど父の了解も得ないで文学部へ移ってしまった。そこで、ようやく水の中に入れられた魚のような心持がしが、そこで一生懸命に文学を勉強したかといえば、およそ実際はその反対であった。》 兄(俊一)が文学へ進み弟も哲学を勉強すると言い出して父親を困惑させたようだ。結局は許してもらっている。また肺尖がおかしいという診断を受け郷里で療養する日が続いたこともあった。そのとき「自然」への傾倒を深く醒まされた。 《思えばこの時期は、その後間もなく私の陥った、まるで狂気の縁(へり)を這ってゆくような想念に到った恐ろしい日々の前にあった、詩と憂鬱に満ちた穏かな青春の一時期であったーー》 とここでエッセイは終わっており「恐ろしい日々」がどういうものであったかは分らない。詩句を読み込めば少しは窺うことができるかもしれないと思うが。
by sumus2013
| 2014-12-27 20:50
| 古書日録
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