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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


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先週末、久しぶりの善行堂で積み上げられた本の山中から見つけ出した一冊。『龍』第四号(龍詩社、一九四九年五月三〇日、題字=草野心平)。発行代表は相田謙三、編集代表は大瀧清雄(福島県白河市横町八七)。同人は相田、大瀧、泉澤浩志、菊池貞三、木村利行、粒来哲蔵。

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善行堂主人のしきりに感心するのは旧蔵者がこういう紙のファイルを作って保存していたこと。たしかに酸性紙のうすっぺらい詩誌(B5判12頁)なので、この書套があるのとないのでは大違いだろう。

詩そのものについては触れないことにして「後記」から次のような熱すぎる一節を引いておこう。

《この二三ヶ月、同人の夫々の立場に於ける自己批判は烈しかった。幾度相寄り相集まり卓を叩いて論じたことであろう。幾夜おのれをみつめて沈思したことであろう。夫々が夫々の前進への苦悩を苦悩したのであり、それが夫々個々相異なるものでありながらそのまま「龍」の前進への原動力となって結集するのである。自己批判が烈しいものであっただけに、向後の仕事への意志と情熱には期待して欲しい次第である。

恐らく大瀧が書いたのであろう。大瀧は大正三年福島県西白河郡三神町生まれ。日大芸術学部卒。北支で従軍中負傷して帰国。戦後は中学教員。平成十年歿。神奈川近代文学館で調べると『龍』は第二次八号(昭和二十六年二月)〜十六号(二十九年八月)、第三次一号(昭和三十年一月)〜十二号(三十四年四月)、第四次一号(昭和三十七年)〜となっている。大滝文庫のある矢吹町図書館には107号(一九九九年)が所蔵されているので、その年までは発行されていたようだ。

福島でもう一点。菅野俊之さんより「詩人鈴木梅子の覚え書き」という文章の抜き刷りを頂戴した。鈴木梅子は明治三十一年信夫郡鳥川村(現・福島市成川)の豪農の家に生まれ、堀口大學に師事した閨秀詩人。『四季』昭和十二年六月号には立原道造、中原中也らとともに梅子の詩も掲載された。大學は梅子の清澄な詩情を愛したという。戦後、三冊の詩集を持った。『殻』(昭森社、一九五六年)、『をんな』(昭森社、一九五九年)、『つづれさせ』(木犀書房、一九六六年)。昭和四十八年歿。

『殻』より「秋の月」。

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by sumus2013 | 2014-10-14 20:44 | 古書日録 | Comments(0)
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