林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ぴのちお

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またまたU氏より『杉並区名鑑 附区勢要覧』(杉並区名鑑刊行会、一九五〇年一一月三〇日)を頂戴した。深謝。編集発行人は南雲武門。新潟の人だが、杉並の新聞王と呼ばれたという。詳しくは下記サイトを。

明治32年(1899年)、新潟県出身。東京農業大学高等科卒業、萬朝報社に入社。大正14年、新聞『杉並町報』を発行。杉並町報社長、杉並公論社長、杉並区民新報社長を務め、『御大典記念 杉並町人名鑑』『躍進の杉並』など多くの書籍を出版。昭和41年逝去。

U氏が注目したのは「ぴのちお」である。

「ぴのちお」といえば、永井龍男のエッセイだったと思うのですが、龍男の義理の兄?がやっていた店ではなかったかと思います。井伏鱒二の「荻窪風土記」にも出てきたと思います。

 私の母(大正14年生まれ)は阿佐ヶ谷の出身で、戦前にこの「ぴのちお」に家族で行ったことがあるそうで(同様に、東中野の「モナミ」にも行ったことが)あるそうです。「ぴのちお」という店名ですが、中華料理でした。その当時は「ぴのちお」は「尼寺通り」の、駅から尼寺(法仙庵 阿佐谷北2丁目)までは行かない、左側の崖上にあった(ということは、現在の「コンコ堂」の側)ということなので、この資料のときは移転していたと想像されます。また「ぴのちお」は、私の記憶だと、もっと駅に近い、現在の北口バス発着所の西側の、今は移転したらしい郵便局のトイメンでその看板を見た記憶もあるので(30年くらい前でしょうか)、さまよえる(笑)店だったのかもしれません。

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左下に「ぴのちお」の広告。阿佐ヶ谷北口篠原病院横と書かれている。篠原病院についてU氏はこう書いておられる。

《篠原病院は太宰治が薬物中毒で最初に?入院した病院のはずで、私もその前を(河北病院で健診を受けるために向かう途中で)通ったことがあります。》

『杉並区名鑑』によれば篠原病院の住所は阿佐ヶ谷四ノ九〇〇(現在の住所表記では阿佐ヶ谷北一丁目九)、院長は篠原静夫で外科病院だった。太宰は盲腸炎をこじらせて入院し緊急手術を受けた。そのときに使用したパビナールが原因で中毒になったとされているようだ。河北病院は小生も阿佐ヶ谷在住だった当時に知人の見舞いに行ったことがあるが、かなり大きな総合病院である。篠原病院についてははっきりした記憶はない。検索してみると、それらのあった場所が最近どうなっているのかが分る。

支那料理店「ピノチオ」
http://www.fabslab.net/asagaya-scape/2010/07/post-143.html

太宰治 篠原病院で手術
http://tushima.exblog.jp/22071176/

閉院した篠原病院
http://snbungakusanpo.com/snsanpo5.html

手許の資料ではまず一九八五年四月発行の『エリアマップ ニューエスト1 新版東京都区分地図』(昭文社)を掲げてみる。ちょうどノドのところにかかって見にくいが。

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それから以前にも引用したことのある『angle 別冊 街と地図の大特集』(主婦と生活社、一九八〇年八月一日第十一刷)ではこうなっている。病院は記載されていない。

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もうひとつ少し古い地図を。『昭和三十四年版 中央沿線古書店案内図』(東京都古書籍商業協同組合中央線支部)より阿佐ヶ谷。

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本日はここまで。もう少しこの記事を続ける。







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by sumus2013 | 2014-10-11 21:29 | 古書日録 | Comments(0)
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