林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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観楓紀行5

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絵葉書「寒霞渓の彩」より



中桐絢海は中之島公園を後にして浪華橋を南に渡り北浜一丁目の石橋雲来を訪問した。

石橋雲来  弘化3年(1846)4月生~大正3年(1914)7月歿
名は教、増官ともいい、雲来と号した。兵庫県揖保郡竜野町、竜野藩石橋定右衛門の次男。播磨の生まれ。大阪市北区曽根崎中1丁目に住み、晩年は明石市の江井ヶ島に住んだ。漢詩塾「雲来社」を主催。明治15年から40年まで、各地を遊歴し、森琴石他多くの文人画家・墨客と交遊した。著書に『雲来詩』『雲来吟交詩』『友蘭詩』など多数の詩集を編纂した。

雲来宅には先客があった。東京から来ていた亀谷省軒である。《此地ノ秋色ヲ探ランカ為メ来レリト予ハ明日箕面ニ向ハントスレトモ翁ハ先ヅ南都方面ニ笻ヲ曳ント云フ》

亀谷省軒 かめたに-せいけん
1838-1913 幕末-明治時代の武士,漢学者。天保(てんぽう)9年生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩士。広瀬旭荘(きょくそう),安井息軒にまなぶ。王政復古をとなえ,維新に際し,岩倉具視(ともみ)につかえた。明治6年官職を辞し,著作に専念。大正2年1月21日死去。76歳。名は行。字(あざな)は子省。著作に「育英文範」「省軒詩稿」。

絢海は再会を約束して紅葉の漢詩を揮毫してくれるよう省軒に依頼した。そこへ来客。山口新一という人物。二十年前に岡本黄石翁と一緒に寒霞渓に来て絢海の家に三日間滞在したことがあった。祖父の知人でもあったのでその奇遇を喜び合った。

岡本半介(おかもと はんすけ、文化8年11月21日(1812年1月5日) - 明治31年(1898年)4月12日)は、幕末期の彦根藩の家老、漢詩人。半介は初代岡本宣就以来続く代々の襲名で、この幕末の有名な半介は黄石の号で知られる人物である。諱は宣迪、字は吉甫。

辞去するに際して雲来が漢詩を一首贈ってくれた。

 萬酌燈前意自寛
 想侘楓葉擁層巒
 悩人最是明朝別
 箕面秋光君独看

続いて車(人力車でしょう)を淡路町へ走らせ、藤沢南岳を訪ねた。久しぶりの歓談である。

《今回艸堂ヲ再築シタルニ付其扁額ヲ揮毫セラレンコトヲ乞フ蓋シ寒霞渓ノ文字ハ実ニ翁ノ題スルトコロナリ今ヤ文人墨客総テ寒霞ノ字ヲ採用スルニ至レリ》

南岳の長男黄鵠も座にいてやはり漢詩を贈ってくれた(漢詩は略す)。続いて南区桃谷町の日柳三舟を訪問した。三舟は日柳燕石の子で、その娘は石浜純太郎の父豊蔵の後妻となったそうだ。

日柳三舟 くさなぎ-さんしゅう
1839-1903 明治時代の教育者。天保(てんぽう)10年生まれ。讃岐(さぬき)(香川県)の人。大阪府の学務課長をつとめ,退職後実業学校を設立。また浪華(なにわ)文会をつくり教科書を出版した。明治36年7月23日死去。65歳。名は政愬(まさのり)。

三舟とは初対面だったが文通していたのですぐに書斎に通された。天皇御寄泊紀念碑の話等で盛り上がり、絢海は近年の禁酒を解いて翁と愉快に対酌した。絢海は寒霞渓紅雲亭の鏡画を贈り、三舟は絢海の錦霞集第二篇のために杉洞谷の景色を描いて後日寄贈してくれた。そこへさっき別れた亀谷翁がやって来たのでビックリ。三人で書画を鑑賞して興に入ったが、絢海は午後四時より緒方正清を訪問する約束があり、退出する。三舟は別れ際に小田耕岳上人『塵談余課』一本を絢海に与えた。

今橋通りの緒方病院の緒方正清を訪ねた。

《関西婦人科ノ泰斗タリ近来開腹術一百回ノ報告アリ予モ一介ノ医士タリ徒ラニ紅葉ニノミ沈酔シテ実業ヲ忽諸ニ付スヘキニアラス其手術式ヲ観ントスルモノ》

緒方は二十日に手術を予定していたが、絢海がその日に京都へ行く予定だというと手術日を一日延ばし二十一日に見に来るようにと言う。葡萄酒を出してもらって紅葉について語り合った。箕面は寒いから気をつけるように注意される。宿に戻り同郷の知人二三人と「ベルモーツト」酒を酌み交わした就寝。

つづく

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by sumus2013 | 2014-09-21 11:00 | うどん県あれこれ | Comments(0)
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