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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


観楓紀行

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近頃、讃岐関連の収穫がないと思っていたら、ちょっと珍しい一冊を均一で発見した。これからしばらくこの資料を紹介して行きたいが、その前に川崎市のKさん(丸亀出身)より讃岐関連本との最近の出会いについて報告メールを頂戴したので転載しておく。

◇8月帰省の際、讃州堂書店で地産本を2冊購入しました。
・「香川不抱歌集」昭和32年、坂出市財団法人鎌田共済会発行
 (鎌田醤油が母体、不抱没後40年追慕記念)
・「新四国風土記」昭和42年、宮脇書店宮脇富子発行
 (壺井繁治、上林暁、西村望など四国出身作家のエッセイ集)

◇「東京人」9月号川本三郎連載の「東京つれづれ日誌」に香川出身平岡敏夫の本
 「佐幕派の文学史・福沢諭吉から夏目漱石まで」の紹介文がありました。
 1930年塩飽広島生まれ、丸亀高校出身の近代文学史家、漱石研究家のようです。また古本探索のネタが出来ました。

◇講談社PR誌「本」9月号に新連載平田オリザ「学びの広場を作る讃岐一」がありました。
 「香川県に足繁く通うようになって四年ほどになる。縁あって、善通寺市にある四国学院大学に新しい演劇コースを作るお手伝いをしてきた。・・・」
 この顛末エッセイのようです。讃岐の演劇も興味深いです。

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では、小生の収穫とはいかなるものか。こんなものです。残念ながら上の写真に見るように改装されておりオリジナルな表紙は失われている。別の和本の表紙を切り取って代用したようだ。本文も普通の和綴じ(四つ目綴じなど)ではなく二箇所を糸綴じしているだけである(最初の写真の黒い糸は小生が補強した。糸綴じは本文だけで表紙は糊付け)。

タイトルは『観楓紀行』、著者は奥付では《編輯者 中桐絢海》、本文では《黄葉白雲居主人星岳》。明治三十年四月出版、中桐絢海の住所は香川県小豆郡艸壁村大字上村百一番戸。発行兼印刷者は上野松龍舎、大阪市東区谷町二丁目百十番邸(上野松龍舎による出版物は国会にも大阪府立図書館にもCiNiiにも見当たらない)。

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中桐絢海(なかぎりけんかい)は嘉永二年(一八四九)生まれ明治三十八年(一九〇五)七月八日歿。本名、明田絢。字は素卿、号は星岳、柳東。中桐文炳の養子となる。柏原謙好に学び、江戸で西洋医学を修める。維新後、讃岐で開業。明治七年高松医学校教頭。著書に『中毒小言』(柏原謙益、一八七五年)、『解剖便覧表』(開文舎、一八七六年)、『錦渓集;寒霞渓記勝初編』(木村弥助、一八八九年)、『寒霞渓道志る辺』(池田武太郎、一九〇〇年)、『寒霞渓記勝;錦渓集第二編』(庫本実、一九〇一年)[以上はkotobank の情報に著書などを増補]。

他に事蹟としては明治三十八年(歿年になるが)、高松の陶工久保祖舜を招いて寒霞渓の山麓に神懸焼の窯場を開いたと言われ、また藤沢南岳に委嘱して「寒霞渓」の名称を得たのも絢海であった。


本文の内容については順次紹介して行く。


by sumus2013 | 2014-09-10 21:10 | うどん県あれこれ | Comments(2)
Commented at 2015-03-28 16:41 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sumus2013 at 2015-03-29 09:55
お知らせありがとうございます!
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