林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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蜘蛛

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『蜘蛛』第二号(蜘蛛出版社、一九六一年七月三日、表紙=網谷義郎)。『蜘蛛』はまだ架蔵していなかったので某書店目録より入手した。蜘蛛出版社および君本昌久については下記にまとめてあるので参照いただきたい。

『歴史と神戸』第51巻第1号 特集・君本昌久と戦後神戸の市民運動
http://sumus.exblog.jp/17831944/

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もう一冊。第三号も。こうなったら創刊号も欲しいもの。

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『蜘蛛』第三号(蜘蛛出版社、一九六一年一一月二五日、表紙=貝原六一)。この目次を眺めて、なかなか本気の雑誌だなあと君本昌久の意気込みを感じる。例えば先日紹介した『くろおぺす』にしても同人のなかには目の覚める者が居るにしてもやはり雰囲気はいかにも同人雑誌。それはそれでいいのだが、君本の狙っているところは全然別のようだ。それにしても安水さんの名前を見ない雑誌はない(?)というのも凄い。

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『蜘蛛』第三号は『くろおぺす』42号の四ヶ月ほど後に刊行された(発行年月での単純比較です)ということで、小川正巳がここに寄稿している「町のなかのアニマ」は越知保夫を偲んだ作品である。

『くろおぺす』42号
http://sumus2013.exblog.jp/22664536/

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そのときに緩瀬寛が生田耕作のようだと聞いたままを書いておいたのだが、某氏が証拠資料のコピーを送ってくださったので必要な部分だけを引用しておく。『たうろす』48号(一九八三年八月一〇日)の「座談会:小川正巳/小島輝正を囲んで」(司会=安水稔和)より。

なおこの座談会によれば小川は松江生まれ、幼少の頃に神戸へ移住したようで、神戸三中から三高へ四年で入学。三高文芸部で織田作之助や青山光二といっしょになった。別派として『三人』をやっていた富士正晴、野間宏、竹之内(桑原)静雄。同じクラスに瓜生忠夫。東大では『海風』の織田、青山、白崎礼三、太田道夫、柴野方彦、杉山平一らと親しく交わったようだ。小島輝正ともこの時代に出会っている。

『くろおぺす』から『たうろす』への転換についても語っているのでその辺りから引用してみる。

小川 そのあたり、ちょっと補いをつけると、私は少なくとも、越知さんが死んで火が消えたみたいな感じで。私らは、まあ悲しんだわけです。その越知さんの追悼号に、生田耕作のサドの訳が出たりして、あの時は、いややった。なんであんな編集したのかな。前が追悼号で後がサドやから。表で葬式しとって、その裏で……。という感じ……。

生田耕作のサド」とはっきり発言されているので間違いないだろう。

《小川 越知さんが死んで、ボケーッとしてしもた。小島も雑誌やる義理もないし、フワーとしとったけど、その間に安水君と山田幸平とが親しくなってよく旅をして、その旅に私も一度参加したんです。忘れもせえへん、北陸の湯村温泉で、蟹くって酒のんだある日の晩、山田幸平が蒲団の上へ坐って、新しく雑誌をはじめようということで……。だからイニシャティブをとったのは山田幸平と安水と僕ですね。

《安水 そこで『くろおぺす』のあとどうしようかということになったんです。で、結局出そうということになって、それから、山田幸平や僕が走り廻って『くろおぺす』の残党に声をかけて、六十二年の暮れに創刊号の原稿を印刷屋に入れます。
小島 『くろおぺす』が四十三号まで出て、そのあと、もう、やめよう、つぶそうという会合はどこかであったの?
小川 いや、スウッと消えた。ほんま雪が消えるように消えたですね。ショックを受けたですわ。ぼくが編集やってたんですが。》

やはり根っからの同人雑誌の終焉と生成だな、という感じは受ける。略歴ということでは小島輝正が自らの過去を語っているのが極めて興味深い。すこし長くなるがメモ代わりに引用しておく。札幌生まれ、東京府立高校、東大仏文科繰上卒業(昭和十六年十二月三十一日)。南洋貿易会ハノイ出張所へ十七年から二十一年まで勤務。帰国後、友人の旭一美に紹介された文明社へ入社。田宮虎彦が経営していた出版社である。雑誌『文明』の編集を手伝った。二十一年秋から二十三年春ぐらいまで。文明社がつぶれた後、生活社へ入社する。

《ここは戦前からギリシャ、ローマの古典叢書や、タキトゥスとかツキジデスとかの歴史ものを出したり、戦時中はアジアものを出したりしていた。わりとしっかりした大きな出版社で、入ってはじめの内は景気が良かったけど、これもまたつぶれた。あの頃は、戦後続々と出た出版屋がバタバタとつぶれてました。それで、しょうがないんで、僕が生活社で編集長やってたものですから、編集委員四、五人連れて自分で出版屋はじめたんです。ちょうどその時、生活社に谷長茂というのがいてーー彼は、二、三年前、家から火出して、おかみさんと二人で焼け死んだけどーーこの男がなかなかのアイディアマンで、彼におだてられて……。その頃、ぼくは親父が死んで、ちょっと金が入ったもんで、それ持ち出して、当時の金で三十万円くらいかな、今から思うとシマッタと思うがね(笑)。ーー洛陽書院という名前だけは堂々たる出版屋をつくって、渡辺一夫さんの本とか鈴木信太郎さんの本とか、二、三冊出したかな。二十四年の秋から二十五年の春くらいまでやってたけど、たちまち借金はかさむわ、支払いはとどこおるわで、にっちもさっちもいかなくなった。

検索してみると、このあたりのことを小島はエッセイにも書いており、daily-sumusにそれを要約してあった。座談だとまた少し違った語られ方をするもののようである。

『小島輝正著作集V エッセイ集2』
http://sumus.exblog.jp/7395874/








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by sumus2013 | 2014-08-08 21:03 | 古書日録 | Comments(0)
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