人気ブログランキング | 話題のタグを見る

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


ザッキン美術館

ザッキン美術館_f0307792_23110274.jpg


ザッキン美術館を訪ねた。宿から歩いてすぐ。常設展は無料だそうだ。アサス通りに面した建物と建物の間の隙間を通り抜けると内庭のように巨大な樹木が繁っている。その一角にかつてザッキンの住居とアトリエだった建物があり、それが美術館として公開されている。

ザッキン美術館_f0307792_23142677.jpg


オシップ・ザッキンは一八九〇年にロシアのヴィテブスク(Vitebsk)に生まれた。幼年時代はスモレンスク(Smolensk)で過ごし、一九〇七年父親にイギリスへ送られた。ザッキンがパリへやって来たのは一九〇九年。まずラ・リューシュ(15区のブラッサンス公園近くにある集合住宅、二十世紀初頭多くの芸術家が住んだことで知られる)に入り、続いてヴォージラール通り、ルッセレ通り、そして一九二八年アサス通りに居を構えた。

モディリアーニ、サンドラール、マックス・ジャコブ、ヘンリー・ミラーらと親しくしていたそうだ。第二次世界大戦中はアメリカへ逃れていた。一九四五年にパリに戻り、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエール(画塾、アサス通りのアトリエから徒歩五、六分くらいのところに現存する)で教鞭をとった。結局、十七歳でイギリスへ渡って以後、終生ロシアへ帰ることはなかった(墓はモンパルナス墓地)。

ザッキン美術館_f0307792_23155495.jpg


ザッキン美術館_f0307792_23182000.jpg


ザッキン美術館_f0307792_23204731.jpg


ザッキン美術館_f0307792_23223233.jpg
ザッキン美術館_f0307792_23233895.jpg


ザッキンの妻で、画家だったヴァランティーヌ・プラックス(Valentine Prax, 1897-81)によってパリ市へ遺贈され、美術館として公開されている。

周囲を高い建物に囲まれた、パリ市内とは思えない静かな空間。こじんまりとした庭も気持ちがいい。大きな美術館で疲れた足をこういうところで休めるのもいいかもしれない。



by sumus2013 | 2014-06-28 00:05 | 雲遅空想美術館 | Comments(3)
Commented by Kcouscous at 2014-06-28 10:34
イサム・ノグチがここに住み込んでザッキンの弟子をしていたと聞いたことがあるのですが、なにかそのような資料はご覧になりましたか?
Commented by sumus2013 at 2014-06-29 00:03
いま、思い当たりません。ただブランクーシの助手をしていたようですし、グランド・ショーミエールに通ってもいたようですから、同じエリア内で生活していたことは間違いないですね。
Commented by Kcouscous at 2014-06-29 10:14
ブランクーシの助手でしたか!
ありがとうございました。
<< 京子の思い出 エメット・ゴーウィン >>