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KATI HORNA一九三〇年、カティはベルリンへ行きベルトルト・ブレヒトと会っている。友人のキャパとエメリコ・ワイス(Emerico Weisz)とともに、ハンガリー人シモン・グットマン(Simon Guttman)のDephot写真店で働いた。もうひとりの同国人ラズロ・モホリ・ナジのつてでバウハウスでも学んだようだ。ナチが政治的に台頭してくるとカティはブダペストへ戻る。そこでジョゼフ・ペシ(Jozsef Pecsi)とともに写真を教えた。 一九三三年末、パリへ行く。コスモポリタンな都市、シュルレアリスムの最盛期だった。シュルレアリスムはカティの仕事に大きな影響を与えた。コラージュ、二重露光、フォトモンタージュなどの技法を駆使するようになる。リュテシア・プレスのために仕事をする。 一九三七年、共和政府の招きでスペインを訪れた。三九年にかけてスペイン各地を旅し、再びキャパやチキ(Chiki エメリコ・ワイス)と合流したが、彼らのドラマティックな写真とは違ってカティは庶民生活を落ちついた共感をもって撮影している。市民戦争が勃発。カティは雑誌『Umbral』のために仕事をし夫となるアンダルシア人ホセ・オルナと出会う。三九年に二人はパリへ脱出。 ナチズムを逃れてニューヨークへ、さらにメキシコへ移る。メキシコシティのタバスコ通りに落ち着き、そこは多くの人々が集う創造の場所となった。レオノラ・カリントン、レメディオス・バロ、バンジャマン・ペレ、エドワード・ジェイムス、アレハンドロ・ホドロフスキー、前衛的なメキシコの画家、作家、建築家たち。カティはいくつかの雑誌のために写真の仕事を続け、大学や美術学校でも教鞭をとった。 というようなチラシの文章をかいつまんで紹介してみた。なかなかいい写真だ。二枚目の図版はジュ・ド・ポムの六月〜九月の展覧会案内、この表紙もカティの作品「女性と仮面」(1963)。
by sumus2013
| 2014-06-13 23:53
| 雲遅空想美術館
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