林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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キック・オフ 

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先日『』80号(脈発行所、二〇一四年五月一〇日)では中尾さんの「雑誌『雑記』について」が面白かったと書いた。『雑記』というのは太田順三が主宰していた雑誌である。創刊一九七四年九月。大阪文学学校のチューターだった川崎に学生だった太田が喫茶店で「雑誌やりませんか」と声をかけて実現した。実際にはもう少し込み入っているようだが、詳しいことは中尾稿を見て頂きたい。中尾さんはこう書いておられる。

《太田順三の小説について触れる余裕はないので、ここでは、川崎彰彦が、近年とみに再評価の機運があがっている佐藤泰志より太田を買っていることだけをいっておきたい。》

《〈佐藤泰志と太田順三と、二人の新人のどちらの〈批評(クリティシズム)〉がヨリ上等であるかーー問うまでもない〉(「一班全豹談ーー文芸時評」一九七九・八『新日本文学』)と断じるのである。これが川崎の身びいきかどうかは、ふたりの作品にあたっていただくほかない。》

これを読んだら太田の小説が読みたくならない方がどうかしている。中尾さんにご無理を申し上げ、コピーを頂戴した。「キック・オフ」の初出(『燃える河馬』三号)。そこに太田順三の単行本『水の戯れ』(雑記舎、一九七九年二月一日)の目次と小沢信男さんによる解説文コピーも付けてくださった。



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一読、太田順三の小説が佐藤泰志より〈批評〉が上等であるかどうか、一概には断定できないように思った。ただ正直に言えば「海炭市叙景」は途中で挫折したのに反して太田の短篇はなかなか面白く読めたのも事実。仮に佐藤がCOM系としたら、太田は明らかにガロ系である。そこに川崎との近縁が感じられないわけではないし、小生の好みも今はややガロに傾く(同時代的には『COM』を毎号買っていて『ガロ』は読んでいなかったにもかかわらず)。小沢さんはこう言っておられる。

《また、八篇を通じて会話が多く、これもこの作者の特徴のひとつと言える。作中人物たちは一向に深刻な論議をするでもなく、ごく日常的な、屁のような会話をころがしてゆく傾向がある。そこで、私の老婆心で言うのだが、近ごろのせっかちな読者諸賢の目には、太田順三はちょっと毛色が変っただけのたよりない饒舌家と、あるいは見えるかもしれない。だが、さきに『水の戯れ』で指摘したように、この作者には、むしろすっきりと寡黙な姿勢があるのだ。書かなさすぎるウラミさえある。そのへんの食い違いはなぜか。》

《"現在"という時間と空間の接点を、作者は凝視する。小さな青葉に光る水玉が転げるほどの、一回かぎりの今、だから。青葉を空間、水玉を時間とすれば、彼は、個の週末の方角から現在をみるわけである。それぞれの作品が、似よってもいながら、孤立生をおびる所以である。
 もう言ってしまおう。"水玉の転げるほどの命かな"これがこの作者のテーマ・ソングだ。そのように、どうやら立場をきめてしまった。そのとき彼は、一気に年老いた。》

《いっそかろやかで、それこそがなみなみならぬ独自性だが、彼のうちなる当惑も、また、そこにあるような気がするのである。自分がなんのために覚めた目をもっているのやら、おもえばそればわからすもどかしい、とでもいうふうな。》

「キック・オフ」から屁のような会話の一例を引いておこう。

《私はミヤ子さんから視線を外して、井戸端の陰からふと現れ出た白犬を見た。
「あ! あの犬はどこの犬なんかな?」
 と再びミヤ子さんの目を見上げた私である。
「ああ、この犬は、学校の裏の大野さん家の犬じゃろ」
「あれ、それならもう五六歳になる犬かなあ」
「さあ、そがいになるのじゃろうか」
 とミヤ子さんは自信の無い声で言った。それから彼女は首輪も見えにくいほどに毛深いスピッツの見えなくなった、彼女の家の陰を見やった。それから、彼女は私を振り返って、
「あ、順ちゃん。電話を貸して貰わないけんのよ」
「いいですよ。どうぞどうぞ」
 と私は答えて、慌てて上り框に立った。》

私小説の系統であり、青春小説ふうな会話もあって、さらにプロレタリア小説の味もわずかに残す。ようするにガロ系なのだ。暗さのなかに明るみ、暖かみのさす、なんとも言えない味わいがあるように思う。なおこの作品の舞台は愛媛である。






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by sumus2013 | 2014-05-23 21:20 | 古書日録 | Comments(0)
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