林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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大高松の人口

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讃岐絵葉書を紹介した折に触れた戦前の「大高松」人口、その疑問が少し解ける資料の画像を頂戴した。守屋荒美雄『改版帝国精図』(帝国書院、一九二九年一月三一日訂正)掲載の「都邑及人口分布図」。

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高松市は黒丸(五万以上)であって赤丸(十万以上)ではない。昭和初め頃にはそのくらいの人口だったようだ。この地図帳を見て、はたと思い出したが、『毎日年鑑1922』(大阪毎日新聞社、一九二一年一一月一日)に日本最初の国勢調査の結果が載っているのだ。さっそく引っ張り出した。大正九年十月一日を期して執行された調査によれば総人口は

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東京市は217万余、大阪は125万余。ということは東京市は現在の大阪市(266万)よりずっと小さい規模だったのである。京都市は59万人。そして問題の高松市は

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まだ大正九年時点では5万人のカベは越えていなかった。さらに地図帳で思い出したのが『中等地理日本誌』(文学社、一八九五年九月一五日八版)。ここに日清戦争前、明治二十五年十二月の日本の人口が載っている。

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東京市は124万弱、大阪市48万、京都市31万弱。高松市は34,463。大正九年と比べると、ざっと30年で1400万人増加している。とくに日清戦争から第一次世界大戦にかけての大阪市への人口流入が激しかったことが分るがこの後さらに関東大震災によって大阪の人口は膨張することになる(大正十四年に近隣の町村を合併して203万余)。

3万人といえば、現在の感覚では町レベルだろう(ただし平成の大合併で町や村がなくなり「市」になってしまいました。小生の故郷白鳥町も東かがわ市となりました)。江戸時代の人口はもっと少ないだろうから、一面のんびりした時代だったろうし、また一面ではキツい村社会だったことも容易に想像される。

これまでの人口に関連する記事は下記の通り。

新選筆算五千題巻一

『大正デモグラフィ』(文春新書、二〇〇四年)

『トウケイ』第二号


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by sumus2013 | 2014-04-28 21:32 | うどん県あれこれ | Comments(0)
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