林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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讃岐絵葉書

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先週のことだが、目録で注文した「讃岐金刀比羅市街」絵葉書(200円)が送られて来た。カラーとあったので楽しみにしていたが、なるほど着色写真である。たぶん大正の終り頃ではないかと思う。切手面には「TSUTSUI SEIKADO SEI/KANDABASHI, TOKYO」と印刷されている。神田橋筒井精華堂のようだ。検索すると他に二種類の絵葉書が見つかった。

この絵葉書を眺めながら、そう言えば、かなり前に買い求めた絵葉書箱(箱ごと買ったようなもの)に讃岐の観光絵葉書のセットが何種類かあったのを思い出した。さっそく押入をゴソゴソやって掘り出したのがこちら。

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国立公園/瀬戸内海/小豆島/寒霞渓の絶勝」「瀬戸内海国立公園小豆島/寒霞渓の彩」「聖境/金比羅宮に参拝して」「瀬戸内海国立公園に冠たる屋島の麗景」「栗林公園/天下の名園/南庭の巻」「瀬戸内海国立公園/小豆島の彩色」「明朗の観光都/大高松の彩色」、その他一番上に見ているのはバラの讃岐関連絵葉書。

「瀬戸内海国立公園」と冠がついている。国立公園指定は昭和九年三月十六日だから、おそらくそれを記念したもの。だから指定日とそう隔たらない時期の製作ではないだろうか。それから「大高松」という言い方、むろん「大大阪」だとか「大東京」の真似をしたのだろうが、そんなに「大」な街だったとはとうてい思えないのである。

この「大〜」は元々英国で用いられた「greater London」から来ているようだ。人口の膨張とともにロンドンが郊外へと拡がって行く過程で一九〇一年頃から用いられた例があるらしい。一九二七年には「The Greater London Arterial Road Programme」というものが計画され、これが一九六五年の「グレーター・ロンドン」へとつながる。当時ロンドンの人口は九百万だった。

「大高松」の人口は現在でも42万人を切る。小生が高校生だった頃には30万と言われていた。昭和ヒトケタとなると、どのくらいだろうか。その半分くらいかな……?

もうひとつ、河野仁昭『京都の文人 近代』(京都新聞社、一九八八年)の「矢野峰人」を読んでいると、次のようなくだりにぶつかった。矢野は明治二十六年岡山県久米郡生まれ。津山中学を経て三高へ無試験で入学、京大英文科、大学院からオックスフォード大学へ留学している穎才である。その矢野が津山中学の修学旅行で金比羅へ参詣したときのこと。

《明治四十二年四月、二年生に進級した峰人たちは、四国の金比羅参りに行ったのであったが、そのころ、金比羅の石段登り口ちかくに、書店があった。
 「私はそのときある書店で偶然にも歌集『恋衣』を購ったのであった。これこそは、実に、私が生まれてはじめて買った歌集なのである」
 『恋衣』(明治三八年一月)は、与謝野晶子、山川登美子、増田(茅野)雅子の合同歌集だが、少年峰人がこれを買ったのは、その巻末にそえられていた晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が読みたくてであった。その評判はきいていたが、読むのははじめてで、明治期の詩のなかで、これは最も愛誦した一篇になった。

この書店が写っていれば文句なしなのだが、そうは都合良く事は運ばない。

絵葉書箱にあった「聖境/金比羅宮に参拝して」から一枚「参拝道・大宮橋と大鳥居」がこちら。中央の建物は琴平電鉄(大正九年開業=金比羅電鉄、同年琴平電鉄に改称、昭和二年に全通)の駅舎である。

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小生が琴平へ行ったのはもう五十年近くも前で、石段以外には何も記憶がない。最初の市街写真の橋もこちらと同じ大宮橋だとすれば、逆向きを見ていることになる(欄干がまったく違うが、これは時代の違いかも?)。最初の方は金比羅の石段へ向かう道筋、商店街。モノクロの方は商店街側から国電の琴平駅方向を望んだものということになろうか。現在の参詣道の様子は下記サイトで(石段前に書店が写っていれば文句なし、だったがやはりそう都合良くは行きません)。

一生に一度はこんぴら参り
http://www.tureduregusa.com/album/common/common_351_400/common_album_387.php



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by sumus2013 | 2014-04-23 21:42 | うどん県あれこれ | Comments(0)
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