林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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人間 小野蕪子

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『俳句』第十巻第十二号(角川書店、一九六一年一二月一日)。以前、永田耕衣と小野蕪子の関係についてごく簡単に触れたことがある。それを覚えていてくださった読者の方より頂戴した。

『澤』特集/永田耕衣
http://sumus.exblog.jp/16049678/

『鶏頭陣』第十四巻第二号
http://sumus.exblog.jp/10280103

この『俳句』は「特集/弾圧以降/戦時下俳句史」として昭和十五年の「京大俳句事件」前後のことを総合的に回顧しようという編集になっているのだが、ここに永田耕衣が「人間小野蕪子」と題して小野との関係をかなり詳しく振り返っている。改めて『澤』の永田耕衣年譜を見るとこの文章の一部が引用されていた。

年譜によれば耕衣は昭和四年頃から小野蕪子主宰の俳誌『鶏頭陣』に投句しはじめている。昭和六年には小野が編集していた『茶わん』という古陶趣味雑誌にも投稿するようになる。ここが大事で、耕衣には初めから骨董的なもの、民芸的なものへの憧憬があった。とくに昭和十二年頃に出会った棟方志功から大きな影響を受けているようだ。そしてそれ以前、蕪子において趣味人としてのスター性を認めていた。

小野蕪子は、その道の代表者の資格で世上を闊歩できた、高度の趣味人であつたと思う。古美術の蒐集と鑑賞に情熱を捧げ、古陶の鑑定に秀れた。また、みずからも陶を作り、絵を描き、随筆に耽り、書道の巧者を以て任じ、かつ味覚にも通じるという達人ぶりは、まばゆくて羨望に値した。

趣味的生活ばかりでなく蕪子の俳句をもかなり高く評価していた。

  うのとりの水面にかけるばかりなる 
  ざくろの実うつして水のとゞまらず
  うたがひは皆影にあり冬の星

《これらの諸作は、大胆簡潔で概して正座即興の風格をもつ。強健端的で思想のカオスを伴つてもいない。而も把握すべき急所を間違えていず、ちぎつて捨てたようなその裁決ぶりに快味がある。私は「うのとり」「ざくろの実」「冬の星」などに当時人生観的共鳴を感じたが、この共感は今も変っていない。》

ところが、この同じ特集で高柳重信は「「鶏頭陣」の終焉」と題して小野を解析しているなかで、その俳句について以下のようにバッサリと切り捨てている。

《雑誌『鶏頭陣』自体は、常にほとんど無力な存在でしかなかつた。そこには、俳句に関する顕著な見解が発表されたためしもなく、特に出色な作品が見られたわけでもない。

小野蕪子自身にしても、俳論らしい文章は、ほとんど書く力をもたず、くりかえし「健康な俳句」という言葉を力説していたにすぎない。また、その作品にしても、仮りに、句集「雲煙供養」の末尾の五句をここに引用してみるが、
  [略]
  白梅や大仏の膝あたゝかに
             (昭和16年の作)
 とても、当時の他の第一線作家に伍して、その優俊さを誇れる水準には達していなかつた。》

むろん耕衣とてそのことには気付いていたはずだ。年譜の昭和十五年には新風を求めて石田波郷「鶴」に二月号から投句》、同人に推され、石塚友二や波郷に面会している。また《新興俳句の結集をめざした同年創刊の『天香』にも投句(同誌は同年三号で廃刊)。蕪子に難詰される。》と見えている。そろそろ巣立ちを意識していたか。ところが……

《翌月、「天香」主要メンバーの過半が検挙され、いわゆる「俳句事件」が勃発した。当然「天香」人のリストが押収され、私の名まで発見されたという。当時情報局の俳人監視に関与していたらしい小野蕪子にこのことが伝わり、私は恩師の蕪子から直接「仮面を脱ぎたまえ」と爆弾的な難詰を受けた。この種の難詰は矢つぎ早に半年ばかりも続いた。蕪子は「君には年老いた母があるからなア」「庇護すべきや否や」等々の凄文句で私に迫り通した。

とにかくも検挙はまぬがれ、俳句を中断することを蕪子に約した。ところで石塚友二も同じこの特集に「日本文学報国会俳句部会」を執筆しており、そのなかにこういうくだりがある。俳句事件では石田波郷や友二もブラックリストに挙がっていた(それを戦後、山本健吉の文章を読んで知った)。昭和十八年の夏頃、友二は失職状態の波郷を文学報国会事務局へ入れようとして河上徹太郎、久米正雄に頼むと、彼らは快諾してくれたが、甲賀三郎が俳句部会の幹事に相談したところ「要注意人物だから」と反対された。そして友二は尋ねられた。

《一体、要注意人物とはどういふことなのか、ーーさういふ質問であつた。私は、自分にも理由はと判然しないが、草田男、楸邨、の両氏等が、小野蕪子に依つてさまざまな方法で圧迫を加へられてゐるといふ噂があるから、多分波郷の場合もさうなのではあるまいか、と答へた。すると、久米さんがさも手を拍ちたげな笑顔を示しながら、「なんだ、小野蕪子の奴がそんなことをしてゐるのか。どうして蕪子なんかに俳句部会が動かされるのかね。相手が蕪子なら石田波郷は問題なんて何もないよ」かういつて即座に事は決定したのであつた。

久米正雄に笑い飛ばされた小野蕪子、耕衣が縮み上がらねばならなかったほど権力を握っていたかどうか、実際のところは分らないようである。


松井利彦編「現代俳句年表 昭和12年〜20年」も参考になる。

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by sumus2013 | 2014-04-22 21:03 | 古書日録 | Comments(0)
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