林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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三條廣道邊り

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マン・レイ・イスト石原さんとギャラリー・トーク(5月4日)をやらせてもらうということで、『三條廣道辺り---戦前京都の詩人たち』を再読した。改めてよく調べておられることに感嘆した。なんとも旺盛な知的好奇心である

市美術館で開かれている第29回隨風會篆刻展の案内をいただいたので、そこで併催されている「呉昌碩とゆかりの人々展」を見るついでに、府立図書館に立ち寄って多少の下調べをした。「三條廣道辺り」というのは石原氏の著作の主要な登場人物の一人、俵青茅(たわら・せいじ、読みは石原氏による)の生家があった場所である。

《天野隆一によると俵の家は「都ホテルの傍の粟田口」にあって「たまたまその隣家が、古来より粟田焼きの窯元の家柄で、詩人錦光山雄二氏であった」そして、父親が伸銅所を経営していたと伝える》

《雑誌『RAVINE』に参加し、現在も旺盛な活動を続ける薬師川虹一に失礼とは思いつつ俵青茅の生家について尋ねた。すると直ぐに不思議な繋がりを感じるメールをいただいた。「そうなんですか、私は知りませんでした。(中略)私は粟田口で生まれまして、その頃にはもう錦光山の家も仕事場もなくなって、空地になっていました。今は料理屋が立[ママ]っています。

《そうです。料理屋というのは美濃吉さんです。出来立てのころは、何にもない野っ原のような庭でして、私の家の木を分けてくれと言ってきたので、父が、玄関の百日紅をやったことを覚えています。》

ということで粟田焼きの窯元は『都の魁』(明治十六年)に出ているのではないかと思って調べてみたところ、錦光山兵衛の店舗が絵入りで掲載されていた。上の二枚の図版がそれ(『新撰京都叢書』第六巻より、上が右頁で下が左頁、二枚は連続している。なお『都の魁』はデジタルアーカイヴでも閲覧できる)。石原氏が《蹴上から三條廣道にかけた粟田口に広大な敷地を有していたと思われる》と書いておられる、文字通りそれを証明する図だろうと思う。石原氏によれば七代錦光山宗兵衛は昭和三年に歿し、その店舗も昭和十年頃には閉鎖されたという。美濃吉は江戸中期の創業以来縄手三条下ルにあったが、昭和二十五年に粟田口の現在地に移転した。

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粟田焼の写真がないかと思って探した。ちょうどいいのはそう簡単には見つからなかった。これは都ホテルから岡崎公園方面を眺めた風景。大正末期。右手遠景に平安神宮。真ん中の洋館は現在の京都市美術館のある場所で、その向かって左が京都府立図書館(改築されたが面影は残す)。だから錦光山および俵家はこの写真の左端をもう少し左……か。

ずっとカメラを引いて撮ったのがこちら。明治四十二年の蹴上、インクライン。この写真で言えば、錦光山および俵家は木立のある小山(この北側斜面に都ホテルが建っている)の向こう側になるのかもしれない。

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さらに少し古くなるが、次は明治二十六年頃の岡崎あたり。手前の畑が現在の平安神宮のある場所になる。向い右手の小山に建っているのが吉水園(明治二十六年創業、明治三十三年創業の都ホテルの前身)、左手は南禅寺。その間にインクラインが見えている。おそらくこの写真には最初に掲げた銅版画のような錦光山が写っているはずだ。

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図書館を出て美濃吉の脇を通り抜けギャラリー・モーニングで廣田美乃展を見る。いいキャラクターを持っている作家。さらにトークの会場となるギャラリー16へ。現代美術を中心としてもう長くやっておられる画廊で、寺町通三条下ルの露地にあったころにはよく通ったが、現在地(三条白川橋上ル)に移ってからは今日で二度目。使いやすそうなスペースである。

以上の写真は『写真集成京都百年パノラマ館』(淡交社、一九九二年)より引用した。図書館で見つけたのだが、帰宅して、別に思い出したことがあり、二階の書棚を探していると、この本が並んでいてビックリ。持っていたか……。モーロクはしたくないもの。



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by sumus2013 | 2014-04-01 21:00 | もよおしいろいろ | Comments(4)
Commented by マン・レイ・イスト at 2014-04-01 23:44 x
さすがに画伯の視点は見事ですね、感服いたしました。フラフラと俵さんの家を訪ねたい気分です。当方、カタログの印刷にかかりっきり、なだめながらの作業が続いています。
Commented by sumus2013 at 2014-04-02 15:11
コピーお送りします。
Commented by at 2014-04-05 10:47 x
 ≪美濃吉は江戸中期の創業以来縄手三条下ルにあった≫
記憶が定かでないので 確実な事は申し上げられませんが、美濃吉は本町筋に有ったとか云う 美濃庄という料理屋の別家で、潰れた主家の歴史を引き継いだとと言うのなら江戸期創業ですが、美濃吉の商号では 明治以前までは遡る事は無いと思います。
Commented by sumus2013 at 2014-04-05 20:38
柳さま こちらを参考にしました。
http://www.minokichi.co.jp/profile/ayumi.html
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