林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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市島三千雄自筆原稿

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市島三千雄が残した唯一の自筆原稿を齋藤健一さんに見せてもらった。『新年』の仲間である八木末雄が保管していたそうだ。いまだ現物発見に到らず復刻版に未収録の号に発表されたのではないか、ということだった。その号の編集担当が八木だったため、八木の手許に同人の原稿が集まったということらしい。

四百字原稿用紙二枚半、詩一篇。タイトルは「●」。この記号は他の作品にも見られる。全文引用しておく。原稿用紙通りの改行にしたが、一文字下げのところは改行なしで前の行から連続することを示すものと思われる。



   ●           市島三千雄

私生子は眞白ろけで下品でない
弱蟲であるから性慾が無い腰が細くて着物は
 袋なのである
私生子は何時とは知らず自分の話を知つてし
 まふのである
偉いから泣かないそして自分ばつかり思つてゐる。母に
 は一度も言はないのである
母が啜つて泣いたし着物に小脳がしたから私
 生子は黙つてしまふのである
そして母と子の間が瑞[みづ]々しくて母は少しも訓
 へない
私生子は蟲のなのである
夜時々眠むられない目がさえてしまふ自分の
 存在がわつてやつとのことで寝てしまふ
 し
沈黙で私生子に視られたから系統の話は大嫌ひ
 なのである
結婚する事が出来なかつたから私生子は移轉[一枚目終]
 するそして行衛知れずになつてしまふ
母が気が利いて居たけれど相手にされぬよな
 気持ちがしたし
私生子は田舎が駄目であつた
何處へ行つてしまふかわからないそして家が
 残つてしまふのである
何時もぼんやりしてしまふし金を貯蓄する勇
 気が脱[ぬ]けて苦学をする體力が缺けてゐる
私生子は永久的であつたから母がいつも黙つ
 てゐる親類が無かつたし世間の人は金の送
 られる場所が不明[わから]なのである
一軒家の樣であるし赤ん坊の為家が暴[あ]らされ
 る事が無い閑[ひつそり]して歓聲がない
私生子はどうしても都が故郷なのである
子供が大きくなると引越してしまふしどうな
 るかわからない
幽霊の樣で手紙もよこさない
移轉した跡は清潔なのである
皆んなはこのことを知つてゐないのである
私生子はしつかり[四字傍点]して物事に周章てないので[二枚目終]
 ある
敷地は濕つて居ないのである。
     (1925・5)




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(1925・5)とあるが『市島三千雄の詩と年譜』(市島三千雄を語り継ぐ会、二〇〇七年)によれば、大正十四年(一九二五)は『新年』創刊の前年で、『日本詩人』二月号に四篇の詩が入選。選者は萩原朔太郎(市島が指名したという)で選評に《市島三千雄は天才的である。この人の前途に嘱望する。》とあった。

また八月には中西悟堂選で『抒情詩』に三篇が掲載された。絶賛である。

《その表現は、善き意味に於ての、全くの変態である。独歩の作家だと思ふ。私はこの人の詩集を出して見たい。
どこか人の知らない海岸に転がってゐる特異な貝のような市島君。滅多に投書をするでもなし、同人雑誌をつくるでもなし、ひとり妖然と閃く心霊を持って隠れてゐるようなこの作家を、私は躊躇なく推す。そして詩集まで推奨する。》

これらの投稿詩篇もタイトルは「●」だけで、《無題詩を宣言す》と添え書きのある作品もある。市島が詩を書き出したのが前年の大正十四年(代表作「ひどい海」など)十七歳のときだから十七歳にもなれば!、一年ほどでたちまちにして朔太郎や悟堂に絶賛されたことになる。

『新年』という仲間四人だけの親密な雑誌の創刊はこの、少し大げさかもしれないが、ある意味「華々しい」詩壇へのデビューに対する反動なのかもしれないと思われなくもない。《私生子は移轉するそして行衛知れずになつてしまふ》、だから『新年』創刊以降は『新年』以外の雑誌には発表しなかったとも年譜には書かれている。

また大正十五年には宮澤賢治から『春と修羅』を贈られている。今から見ればものすごい勲章だが(古書価もスゴイです)、当時はどちらもほぼ無名だったわけだから、純粋に賢治は市島の詩に親しみを感じていたのであろう。

市島は、昭和二年十月以降、一篇の詩も発表しないまま昭和二十三年に歿した。享年四十一。生前に詩集は持っていない。






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by sumus2013 | 2014-03-28 20:53 | 古書日録 | Comments(0)
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