林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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浪の雪 河田誠一

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今現在、「日本の古本屋」で「河田誠一」を検索すると青木書店の草稿の他にあきつ書店が『ヌウヴエル1』を出品している。これを見たとき、聞き覚えのある雑誌名だと思った。ひょっとして持っているのではないか……。押入の小野松二資料の箱を開けて見ると、あった、ありました。

発行所は朝日書房(東京市神田区錦町三ノ二〇)、発行者は川崎久利、編輯者は神戸雄一(1902-54)。神戸(かんべ)は宮崎県串間市(那珂郡福島村)出身の詩人。『赤と黒』に資金を提供し、大正十三年『ダムダム』を創刊。すなわち荻原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、林芙美子、小野十三郎、高橋新吉らとともに白山南天堂書房の二階でどんちゃん騒ぎをやっていた主要メンバーの一人だったということである。昭和十九年に帰郷し二十九年に歿している。井伏鱒二の『荻窪風土記』(新潮文庫、一九八七年)にこう書かれている。

《詩人の神戸雄一は昭和六年の春から八年の暮まで弁天通りに住んでいた。場所は、弁天通りから脇道の「蔦の湯」という銭湯に行く曲り角のところである。》

《神戸君は野馬の棲息で有名な宮崎県都井岬福島という町の豪家の出身で、細君は金満家で東京育ちの美女であった。神戸君も木版刷の若殿様という仇名がある好男子だから、衆目一致で言うところの美男美女の一対であった。金はあるし酒も煙草も喫まないし、ただ詩集を読み詩を書くだけだから、知り合いの貧乏な詩人たちのため詩の同人雑誌を出してやったりした。今で言うスポンサーである。》

神戸夫妻は麻雀好きな人にそそのかれて麻雀倶楽部をつくった。

《集まるのは失業者ばかりで、文筆業者または文学青年窶れの方では、詩を書く人たちが多かった。荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺というところは、つくづく詩人の多い町であった。》

《詩人の野十郎は殆ど神戸君のうちに寝泊りする一員のようになって、麻雀の道具を出したり蔵ったりする役割を引き受けていた。詩人の矢野、劇作家の坂正、音楽家の武天佑、画家の長谷川利行、浪人者の旗頭のような感じの桑干城という人などが常連であった。先日の神戸君の奥さんの手紙に、「画家の長谷川利行氏などもたびたびお見えになり私は草むらに殿様のように立派なバッタが眼を光らせている油絵を頂いたのですが誰かがいずれかへ持ち出してしまって無くしてしまった惜しい思い出がございます」と言ってあった。
 神戸君夫婦は一人娘の可愛らしい子供を連れ、昭和八年の暮に阿佐ヶ谷に引越して行った。
 神戸君は温良恭倹という点では神品に近い人で、人間形成が殆ど完了しているかと見えていた。荻窪に引越して来る前には野村吉哉、小野十三郎、壺井繁治、金子光晴、林芙美子などと交遊していたが、弁天通りから阿佐ヶ谷に引越してからは小説作家に転向し、古谷綱武、太宰治、古木鉄太郎、外村繁、大鹿卓などと新しく交遊を始めて「海豹」の同人になり、昭和九年には「文陣」を発刊した。昭和十九年、戦争が苛烈になって来ると、宮崎に疎開して日向日日新聞社に招かれて文化部に入ってラジオの仕事もした。戦後は詩を「龍舌蘭」に発表し、詩集「岬・一点の僕」「新たなる日」を残して二十九年二月二十五日に永眠した。翌年、遺稿詩集「鶴」が出た。》

非常に要領を得た(ただし井伏のことだから話七分目に聞いておいた方が無難ではあると思うが)神戸伝である。要するに、詩と詩人が好きなお金持ちだったわけだ。だからおそらくこの本(雑誌か?)も神戸の自費出版だったのだろう。朝日書房は実用書や文学関係の本なども少しは出していたにしても、このモダニズム感覚とはまったく縁がない版元のようである。

扉絵、カット、挿画二点は誰の作品か明記されていない。すべて同じ作者による木版画である。三角形(A?)が重なったようなサインがある。フランス・マスレール(Frans Masereel, 1889-1972)に似たような作風だが……。

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神戸が選んだ作者たちは以下の通り。横光利一、井伏鱒二、田畑修一郎、井上友一郎、織田正信、今官一、蒔田廉、久野豊彦、龍膽寺雄、大鹿卓、神戸雄一、古木鐵太郎、中山議秀、大野淳一、田村泰次郎、小田嶽夫、鹽月赴、高橋新吉、河田誠一、北村謙次郎、北原武夫、金子光晴、小野松二、辻野久憲、宮腰武助、守木清、中山省三郎、ロオトレアモン(青柳瑞穂訳)、マルセル・アルラン(那須辰造訳)、フランシス・ジヤム(秋田滋訳)、バルザツク(鹽月赴訳)。

これでおおよそ河田誠一の置かれていた文学の時代が分るような気がする。そして河田の作品掲載ページ。


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「浪の雪」と題されて八頁にわたり、最後の行に《長篇「山雀の一節』》[表記はママ]と付け加えられている。

内容はたわいもないと言えばたわいもない女一人と男二人の三角関係をいわゆる新感覚で描いてある。

《由利は改札口を入つてゆく新城を見ると、急いで切符を買つて追ひついた。新城の容貌が衰へて鼻のあたりに油汗が光つてゐる。うす暗い地下道をぬくい空気が満ちてゐるのを覚えながら、追ついて「兄さん」といつた。すると、新城はその声が由利であることをしつてゐるやうに、振向かずに、いきなり並んで歩く由利をしらぬもののやうにあるく。いつものくせであつた。だが、いつもはすぐそれをを止めるのであつた。直ぐに、物を言ひ出すのに、今日は、と、考へてゐ胸を由利は自覚した。新城の眼に、花が見えたやうに、一寸振向いただけ、声もかけず表情一つ動かしはしない。由利もまたそれにならつて、二十幾分間は電車の中で棒立ちであつた。しかしNの駅を下り人のゐない屋敷前にかゝると、いきなり、由利は、新城の腕を握つて噛みついた。
 その夜、林の深い新城の家ではあかあかとした瓦斯電球の下で、由利がひとり蒲団の中で夜の明けるのを待つやうなものであつた。
「細い手にも血が出るのね。兄さんが好きでたまらに日なのよ、けふは」とかの女がいふのである。まるで映画説明の文句だ。由利はやさしい眼をしてゐる。
「兄さんは手がいたむでしよ。手がいたむのを、かうしてじつと見つめてゐるの。そしたらね。兄さんが一層好きになるの。あたしにはね。あたしを好きな人が幾人もあるの。けどやつぱり兄さんがいゝわ。兄さんは昨夜も一昨夜も帰つて来なかつたのは、あたしが好きだからでせう」
 由利を見ると、まるで寝言のやうに、かの女は眼をつむつてゐた。新城は、まだづきづきと創が痛むのであつた。》

う〜ん、文学的判断はとりあえず保留しておこう。もう少し読まないと。



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by sumus2013 | 2014-03-19 19:49 | うどん県あれこれ | Comments(0)
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