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大西巨人さん死去去る12日に大西巨人さんが亡くなられた、留守中のことだったので新聞を見ていなかった。ローカルTVではなにも報道されなかったため帰宅するまで知らなかった。拙作で飾られた光文社文庫の大西本を取り出して追悼の意を表する。 間村俊一さんと、大西さん担当だった編集者Sさんと、三人で埼玉県のご自宅にうかがったのは光文社文庫版『神聖喜劇』が刊行された翌年二〇〇三年十一月だった。日記を確かめてみると六本木のギャラリー柳井で個展をするために上京した機会をとらえてのことである。 いつもながら上京したときには知人宅に泊めてもらう。かつては岡崎武志氏のところや生田誠氏のところにもお邪魔したし、このときはまず新浦安のTさん宅に泊めてもらった。じつはこのときお世話になったTさん宅(当時築二十年だとおっしゃっていた)、つい最近、火事を出して全焼してしまったというのでビックリ。幸いTさんはご無事だったが、それでも一週間ほど病院で意識不明だったとか。書物の重みを支えるため居間の中央に柱を一本増やしたほどの蔵書家だった。それらはすべて灰燼に帰した。 十一月十九日の日記の一部を書き写しておく。この日、池袋へ移動している。 《リブロの光文社棚を確認し、ちくま学芸文庫にバシュラール『空間の詩学』を見つけて買う。そのすぐ横のカフェキャビンでグレープフルーツジュース。14:05 光文社棚のところへ移動。しばらくきょろきょろしていると、中年女性から「林さんですか?」と声をかけられた。》 同行することになっていたSさんが急に具合が悪くなったとその女性は告げに来てくれたのだったが、そこへ当のSさん現れ、大丈夫ですと言うので、結局、間村俊一さんと三人でタクシーを拾って与野市へ向かった。 《14:50ごろ大西宅着。高速降りて5分もかからなかった。メーターは7千円ほど。大西先生、ご機嫌の様子でそれから文学談義を2時間ほど。お菓子につづいて 16:00 すぎに茶巾ずしとつけもの出る(浅漬とサラミ!) ワープロを使って最新作を書き上げたが、ワープロだと文体が崩れるような気がして、息子の大西赤人(昭和30年生)さんに相談したら、ワープロで崩れるようなら大した作家じゃないと言われてふんぎりがついたとか、いろいろな話。17:00 ごろまで。タクシー呼んでもらい飯田橋まで帰る8千円。Sさんは帰宅。間村さんの行きつけもー吉へ。》 いや、ほんとに今もよく覚えているが、大西先生、間村さんの俳句を口ずさんだりして(間村句が気に入って暗記していた!)じつに上機嫌。間村さんビックリしていた。壁には平野甲賀さんが装幀した以前の『神聖喜劇』(ちくま文庫)の表紙が額に入れて飾られていた。 なんと、会話の一部は「大西巨人談」として日記にまとめてあった。これは自分をほめてやりたい。 《岡本かの子全集(ちくま文庫、間村装)が本棚にあり、かのこの小説が好きだという話から、岡本太郎に会ったことはないのかという質問に対して、「新日本文学」の時代に、会合に欠席していたため長谷川四郎と二人で、年末に雑誌の赤字を何とかするために、寄付金をもらいに歩いた。松本清張、岡本太郎、水上勉、有馬頼義などを歴訪したそうだ。交渉は長谷川四郎が主にやったそうで、大西さんは若かったこともあり、人づきあいは苦手な方なので、みんな初対面で、うしろにくっついていた、ということである。 画家ではキリコが好き、なかでも輪を走らせる少女がすきとのこと。 「神聖喜劇」が光文社から出た経緯は、「新日本文学」連載中に早く、松本清張が、取り上げて評価してくれたことがまずあり、光文社の編集者の一人が出版したいと言ってきた。中間小説として傑作で原稿のまま出版しますという話だった(カッパは、かなり原作を変えるということで有名だったそうだ)。そのころすでに5年間書きつづけていて、あと数ヶ月か半年で完結させる予定で引き受けたが、それから15年以上かかってしまった。批評家に原稿がおそいのは才能がないからだと言われたりした。 ある年、どうしても金が必要になり、光文社へ前借りに出かけた。俺は借金に来たんじゃないゾ、借の印税をもらいに来たんだとどなった。会社中がシーンとしたらしい。そこでなんとか都合はついたが、上の方から刊行打ち切りの話が出たらしい。担当の編集者はいつもポケットに辞表を持ち歩いていた(辞表の件はS氏の聞いた話、大西さんは知らなかった。)》 とまあ、このくらいのことだが、大西さんの口から直接うかがったのだから感慨は深い。ご冥福をお祈りします。
by sumus2013
| 2014-03-17 22:07
| 装幀=林哲夫
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Comments(9)
うーむ。軽々しくコメントする内容ではないですが、人と人との出会いについて、深く感服しました。そうか、そうだったのかと思うこともあり、健気に生きていこうと思いました。他の人にはなんのことかわからない、でしょうが、ありがたい記録でした。
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sumus2013 at 2014-03-18 08:50
10年少し前のことですが、いろいろあったなあと思います。みなさん、それぞれに……
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H
at 2017-05-13 23:36
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はじめまして、ブログを読みましたのでコメントさせて頂きます。
初めて読んだ大西巨人が、写真にある光文社文庫版の神聖喜劇でした(学生時代なので15年近く前です)。内容にも圧倒され、それまで読んだどんな小説よりも素晴らしいものでした。そして、装丁の絵にも大変感銘を受け、「林哲夫」という名前だけなんとなく覚えていました。いま、ふと林さんのお名前と神聖喜劇を検索したらこちらのブログに辿りついた次第です。こちらのブログでも林さんが大西巨人宅に訪問された際の貴重な話が書かれていて、興味深く読ませて頂きました。ありがとうございました。
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sumus2013 at 2017-05-14 08:54
そうなんですか、感慨無量ですねえ。そんなに時間が流れたとは。この訪問はまだ昨日のことのように覚えています。大西さん、ほんとに上機嫌でした。神聖喜劇は傑作です。
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H
at 2017-05-14 09:42
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早速のコメントありがとうございます。
ほんとうに神聖喜劇は内容だけではなく、装幀、装画、紙質、フォントなど全て素晴らしいと思います。 (大西巨人や坪内祐三も褒めていますね) 私の母親が大西巨人を敬愛しており、その影響でなんとなく読んだ大西巨人で、その後、大西巨人の本をだいぶ集め、読みました。ただ、大西巨人が活字メディアに取り上げられることがほとんどないので、林さんがブログで書かれたお話は貴重だと思います。 ところで、林さんは画集のようなものはお出しにならないのでしょうか?ぜひ、神聖喜劇の装画以外の作品を拝見したいのですが...。 (僭越ながら、神聖喜劇の装画の中では、特に「薬瓶・夕」が好きです)
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sumus2013 at 2017-05-14 19:13
有り難うございます。25年前に一冊出しました(絶版です)。そろそろ新しい画集が出したいですねえ。なかなか容易ではありませんが、そう言っていただければ、励みになります。
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H
at 2017-05-16 20:45
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1992年の「林哲夫作品集」ですね。アマゾン等で探してみたのですが、ネットでは見つけることができませんでした。もしあれば、ぜひ手に入れたかったのですが...
去年の12月に神戸で作品展が開催されていたのですね。実に惜しいことをしました。今度、作品展が開催される場合はぜひ行きたいと思います。 (「ヴァン・ゴッホの道」をネットで拝見いたしました。明るくて素晴らしい画だと思います)
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sumus2013 at 2017-05-16 21:21
九月には京都で個展の予定です。あらかじめこのブログで告知いたしますので、ぜひお越し下さい。トークショーなども予定しています(まだ内容ははっきりしていませんが)。
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H
at 2017-05-16 23:01
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9月の京都、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願い致します。
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