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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


船長ブラスバオンドの改宗

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バアナアド・シヨオ、松村みね子訳『船長ブラスバオンドの改宗』(書肆盛林堂、二〇一四年二月一六日、表紙画=堀内薫)読了。『船長ブラスバオンドの改宗』(竹柏会、一九一五年)を底本とした覆刻版。さすがに飽きさせない筋立てである。

松村みね子の訳文を森鴎外が序において次のように讃えている。西洋脚本にろくな翻訳がないと嘆いてみせてからこう続ける。

《此本はどこまで読んで行っても、その「まずいなあ」を出させないのです。とうとう出させずじまいになって、Lady Cicely の How Glorious! how glorious! And what an escape! に到着しました。そして私はその escape を得ずに、此本に捕えられてしまったのです。》

鴎外が引用しているのはテキスト最後のセリフで、主人公である美貌の貴婦人シセリイの独白だ。みね子訳はこうなっている。

《まあ立派な! なんて立派な! ああ危なかった!》

Glorious を「立派な」はどうだか知らないけれど、「ああ危なかった!」はじつに上手いと思う。どうして危なかったのか、をここで書いてしまっては興ざめなので、我慢しておくが、もう少しでどうにかなるところだった……ということである。

ショーといえば『ピグマリオン』(舞台、映画「マイ・フェア・レディ」の原作)くらいしか知らない。ただしショーがとびきりの皮肉屋だということは何かで読んだ次の単語で印象深く刻み込まれている。

 ghoti

ショーはこれを示して「fish(フィッシュ)」と読ませた。なぜならば、以下のような発音の例があるではないか。

 gh - laugh における gh 、[f] 
 o - women における o 、[ɪ]
 ti - nation  における ti 、[ʃ] 

要するに英語の発音の不規則生をチクリとやったわけである。並のへそ曲がりじゃない。

本作『船長ブラスバオンドの改宗』はモロッコが舞台。美女と海賊と判事とムール(ムーア)人が登場する。活劇かと言えばそうではなく、ほとんど松竹新喜劇かとまがうようなあちゃらかである。(ついでながら、ジョン・ミリアス監督脚本の映画「風とライオン」、モロッコが舞台でアメリカ合衆国が重要な役割を果たすあたり、ミリアスはショーを意識していたのかもしれないな、と気付いたしだい)

英国本土にいられないワケアリ人間たちが吹き溜まっているなかでいちばん強烈なボケ・キャラクター、道化役はドリンクウォタアという小悪党。ひとしきりドタバタやったあと彼らの持ち物がすべて没収されて裁判になる。そのときにこんなやりとりがある。

《水兵 知事(カーデ)から渡されました本がございます。何か魔術の書らしいと申して居りました。教誡師があなたに申し上げてから焼き捨てるようにと申されました。

大佐 どんな本だ?

水兵 (目録を読上げる)汚れ損じたる本四冊、各、別種類、定価一ペニィ、名はちぢかんだトッド、ロンドンの魔物理髪師、骸骨の騎手ーー

ドリンクウォタア(ひどくあわてて心配そうに駆け出して)そいつあ、私(あつし)のお蔵です。焼いちゃあいけません。

大佐 お前も斯んな物は読まない方がいい。

ドリンクウォタア (非常に情なさそうにレディ・シセリイに訴える)どうか焼かせないで下さい。あなたがそういって下さりゃあ、焼きやしません。(一生懸命の弁を振って)此本がどんなにあっしに大事だか、あなた方にゃ分らないんだ。此本のおかげで私(あつし)はウォタアロー街のみじめな世界から抜け出して面白い夢も見ていられたんだ。此本が私(あつし)の頭を拵えてくれたんだ。私(あつし)に汚い貧乏人の生活(くらし)よりか最ちっと好い物を見せて呉れたんだ。》

定価一ペニィの本というのは十九世紀に「penny dreadful, penny horrible, penny awful, penny number, and penny blood」などと呼ばれて英国で数多く発行された犯罪小説を指すのだろう。ダブリンの貧しい家庭に生まれ、辛苦の末、筆で立ったショーその人の感慨が込められていると読みたくなるが、さてどんなものか。とにかくいい本を覆刻してくれた。版元に感謝である。


by sumus2013 | 2014-02-24 21:25 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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