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桑原武夫記念コーナー京都市右京中央図書館へ立ち寄った。二〇〇八年にオープンしたらしいが、初めて足を踏み入れた。本を見ながら突き当たりまで歩いて行くと「桑原武夫記念コーナー」という看板があった。 窓際の片隅に、写真や年譜のパネルと遺品(筆硯、印章、ノート、コピー原稿、習字、水彩画スケッチブック、成績表、日記帳、献呈本など)の展示。遺愛のテーブルと椅子も置かれていた。 どうしてここにこんなふうにコーナーが設けられているのか知らない(もとは国際交流会館にあったらしい)。せっかくなのだから誰かちゃんと手入れしてくれればと思うのだが……。せめて外光は防いでほしい。 *** 死亡記事のノートにたしか桑原武夫も貼付けてあったはずと思って調べると、朝日と神戸新聞がいくつか見つかった。一九八八年四月一〇日午前九時五五分、急性肺炎のため入院先の京大胸部疾患研究所附属病院で死去、八十三歳。 多田道太郎の追悼文(神戸新聞四月一三日付)から。 《桑原先生が共同研究の部屋に入ってこられると、いっぺんに幸福感が私たちを浸すのであった。「ルソー研究」といった本題に入る前に、先生の「あれはいったい何ででっしゃろ」が始まる。時々片々、日常茶飯の中から懐疑の種を拾い出す先生の力量に私たちは驚いた。》 《イデオロギーにかかわりなく発想の自由度と強靭度(きょうじん)が問われる。好んで異をたてる、と思われかねない異能奇才の若者を先生は溺愛(できあい)された。》 朝日新聞(四月一一日付)には梅棹忠夫が追悼文を載せている。 《研究もさることながら、年末の全員コンパで、一年後を予想するゲームをします。「日本の首相はだれになっているか」「米大統領は……」といった社会科学の応用問題が多かった。オッサン(と私たちは呼んでいましたが)も含め、全員がそれを密封しておいて一年後に開封します。「人文科学者も現実的な問題に目が利かなければいけない」という桑原さんの発想でした。》 《中国文明についての深い関心と知識を持った上で、漢字の制限を国語審議会でも主張された。特に人名漢字の制限をいわれたが、「人名は社会的財産」という考えからで、他の人が読めない漢字は困るというわけです。元号廃止論者でもありましたが、それも国際的視野からの発言でした。》 同じノートによれば、桑原死去の前日一九八八年四月九日には作家田宮虎彦が北青山のマンションから飛び降り、新宿の東京女子医大病院で死去(七十六)、八日には挿絵画家の竹中英太郎が新宿区東京医科大病院で虚血性心不全のため死去(八十一)、六日には詩人フランシス・ポンジュがニース近郊の別荘で死去(八十九)している。死因は不明。
by sumus2013
| 2014-01-29 17:54
| 古書日録
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Comments(11)
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牛津太郎
at 2014-01-29 22:27
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桑原武夫全集を読んでも、このような柔軟な精神は感じられませんが、どうしてでしょうね。文字よりも言葉の方が活きがいいからでしょうか。それにしても、無神経な展示場です。
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sumus2013 at 2014-01-30 09:07
アジテータあるいはコーディネータというような才を発揮した方ではないかと年譜を読みながら思いました。
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miti-tati
at 2014-01-30 10:30
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もう30年以上前、会社の出張の帰りのパリ発の飛行機で偶然隣り合わせました。桑原武夫と知ってはじめは声をかけてよいものかどうか
迷いましたが、口をきくと気軽に会話に入れました。気さくな性格なのですね。前の晩はパリで杉本秀太郎と会食して別れたこと、パリ在の荻須という画家は日本では有名だが、フランスでは誰も知らないね、とか、君、仏文の論文を書いてフランスの学会で見てもらうにはフランス語で書かなきゃまったくだめだねとか、いろいろ話してくれたことを思い出します。
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miti-tati
at 2014-01-30 11:00
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失礼しました。下から2行目は「認めてもらうには・・・」です。
しみじみフランス語のフの字も知らない私ごときにつぶやいていました。
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sumus2013 at 2014-01-30 19:52
桑原オヤジはなかなかたいへんな方だったようですね。山田稔さんも、たしかこのハチャメチャな(?)新年会のことを書いておられました。荻須ですか、フランスの戦後美術の潮流ではないですものねえ…。
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唐澤平吉
at 2017-04-28 09:00
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遺族からの寄贈本1万冊余が、廃棄されたというニュースには、暗澹たる気分です。やっぱり、どこかおかしくなっていますよね。
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sumus2013 at 2017-04-28 19:47
そうなんですか! それでこの記事にアクセスが集中しているのですね。公に遺贈してもダメだということの証拠になる事例です。まだ古本屋に売った方がまし。とは言え古本屋もよほどのものでないと引き取ってくれませんが。
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唐澤平吉
at 2017-04-28 22:12
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先日の、林さんの「神保町の鴉」を拝見していたので、なんだか偶然ともおもえなくて、京都から東京へ運ばれたのかしら、ふとそんなことを考えてしまいました。
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sumus2013 at 2017-04-29 07:54
古本として流出してくれていれば、まだ救いがありますけれど…
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文学を愛する国民
at 2017-05-05 19:37
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蔵書廃棄したのは林川明子
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sumus2013 at 2017-05-06 08:20
鶴見俊輔さんは古書として処分するように言い残されたと聞いています。それがいいのかもしれません。
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