林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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明治の下谷区

f0307792_21281645.jpg

明治時代の「下谷区」の地図を手に入れた。現在の台東区から文京区にあたる。ただし、周縁部が切り取られているため、発行年等は不明である。不明ではあるが、地図上に書き込まれた施設の沿革を調べてみると、おおよそ何年頃の地図なのかは推測可能だ。

f0307792_21280720.jpg

注目は「教育博物館」(現在は東京芸大の敷地)。明治十年にこの名称となり明治二十二年に閉館している。ということは、二十二年以前の地図だということは確かだろう。多少のズレ(発行時には閉館した後だったとか)はあるとしても、そう大きな違いはないはず。

砲兵工(現在の東京ドーム、旧水戸藩邸)の名称は明治十二年に使われ始め、陸軍病馬厩分厩(現在の御茶ノ水女子大、跡見学園あたり)は明治十三年から二十三年まで存在(以後は大塚陸軍弾薬庫)。博物館(コンドル設計の建物)および動物園は明治十五年に開かれた。中山道鉄道(京浜東北線)は明治十七年に上野・高崎間開通。帝国大学は「帝国大学」という名称では明治十九年に創設された。ということは、それ以上古くないということである。明治19〜22の間。

この地図ではまだ中央線の前身である甲武鉄道が見えない。新宿・牛込間が明治二十七年、飯田橋まで延びたのが翌年だから、当然だと言える。常磐線が土浦鉄道と隅田川鉄道に別れているのも興味深いが、この点については検索してもはっきり分らなかった。

それにしても上野の北から西にかけては土地が空いていたせいでもあろうが(樹木や畑地の多いこと!)、明治前半には新しい建物がどんどんできていたことが分って面白い。明治の小説など読む時にはこの地図を頭に入れておかないといけないのかもしれない。






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by sumus2013 | 2013-12-23 22:09 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by kaguragawa at 2013-12-23 22:36
現在、弥生美術館・竹久夢二美術館のあるあたり、本郷台地の不忍池に落ち込む谷筋に、明治20年頃、「東京共同射的會社射的場」がありました。それがよくわかりますね。
http://tokyobunkyoshooting.jimdo.com/文京区の由緒/東京共同射的會社射撃場/
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/001222.html
Commented by sumus2013 at 2013-12-24 13:29
射的場とは! なるほどこの空間は目立ちますね。
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