林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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銅脈先生『太平樂府』

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銅脈先生『太平樂府』(書肆長才房/只見屋調助、大井屋左平次、初版は明和六/一七六九)を入手した。元の題簽は失われており見返しの題(銅脈先生/太平樂府/書肆長才房蔵)もない。表紙が替わっているようには見えないから、初版ではない後刷りのようだ。一冊本で巻之一〜三を収める。

序文は、巻頭の行書が応昭子(大笑止)、明朝体の序が北山の業寂僧都(これは天台宗の僧侶で詩人としても知られた六如、実は北山ではなく真葛が原[今の円山公園内]に住んでいた)。本文冒頭の著者名は「胡逸滅方海 こいつめっぽうかい」、校が「恵萊安陀羅 えらいあんだら」。巻末の跋の署名が「葛津貧楽 くわずひんらく」で奥付の著者名が「多和井茂内 たわいもない」。そして版元名が只見屋調助(無銭入場者)、大井屋左平次(大いに余計な口出しをする者)というふうに全編しゃれのめす態度で貫かれている狂詩集である。

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銅脈先生(どうみゃくせんせい)がどういう人か? 

1752-1801 江戸時代中期-後期の狂詩作者。
江戸中・後期の狂詩作者。畠中氏。名は正盈,字は子允,通称は政五郎,頼母,号は観斎,狂号は銅脈先生,太平館主人,片屈道人など。讃岐国(香川県)の都築新助の子として生まれ,京都の 聖護院宮家に仕える畠中正冬の養子となった。那波魯堂に儒を学んだが,明和6(1769)年に『太平楽府』を出版して以来,江戸の寐惚先生(大田南畝)と併称され,狂詩作者として知られた。狂詩集にはこのほか『勢多唐巴詩』『吹寄蒙求』,寐惚との競詠集『二大家風雅』などがあり,その作風は寐惚の滑稽に対し,銅脈の諷刺と評される。狂詩以外にその諷刺の才能は,『針の供養』『太平楽国字解』『風俗三石士』などのような滑稽本にも発揮されている。しかし,単なる諷刺,滑稽の人ではなく,晩年には柴野栗山と和学の古典を考究し,蒲生君平らと陵墓の調査研究に従事するという一面もあった。<参考文献>森銑三「銅脈先生」(『森銑三著作集』2巻),中村幸彦「諷刺家銅脈先生」(『中村幸彦著述集』6巻)[朝日日本歴史人物事典]

うどん県人としては《讃岐国(香川県)の都築新助の子として生まれ》《柴野栗山と和学の古典を考究》というところにひっかかったわけである(栗山も讃岐の人)。『太平樂府』(東洋文庫、一九九一年)の解説は以下のように言う。

《銅脈先生こそは、狂詩史上、推して第一人者となすべき人物である。鋭い観察眼をもってとらえた愚かしくも愛すべき当世風俗の種々相を、時には冷たく見据え、時には暖かく包み、天賦の滑稽の才のもたらす自由自在の表現力と、卑俗を詠じて卑俗に堕さない品格とをもって描き出す作風は、狂詩という様式によらなければ至り得ない種類の文学の世界を現出しており、すなわち狂詩という様式を完全に文学の域に押し上げたものと評し得る。》

う〜ん、そこまでほめるか、と思わないでもないが、たしかに京の人情風俗を斜めから描いて巧みであることは認めざるを得ないだろう。幸徳事件に恐れ戦いた永井荷風が江戸戯作にのめりこみ現実逃避に走ったことは先日少し触れたが、その手本が大田南畝であり、荷風には南畝研究もある。その東の南畝(寝惚先生)に対して、西の横綱が畠中観斎(銅脈先生)だった。

《滅方海は河東の隠者なり。常住、路次に鎖[じょう]を下し、自ら閉戸先生に比すとは、昼の間の事なり。若し夫れ、行水終り、夜食過ぎ、已に夜に入るに至っては、即ち梟のごとく起り、熊のごとくに歩んで、間[ひそか]に当世の穴を索って、以て遂に是の集を成す。》(跋より)

夜になると「梟のごとく起り、熊のごとくに歩」む生活をしながら次のような狂詩を作った。

  河東夜行

 三絃声静後過迎
 さみせん こえしずかなり ごすぎのむかい
 回使挑灯夜半明
 まわしのちょうちん やはんあきらかなり
 番太逐獒怒擲棒
 ばんた いぬをおうて おこってぼうをなげ
 女郎送客留含情
 じょろう きゃくをおくって とどめてじょうをふくむ
 按摩痃癖吹笳去
 あんまけんぺき ふえをふきさり
 温飩蕎麦麪焚火行
 うどんそばきり ひをたいていく
 月浄風寒腹已減
 つききよく かぜさむうして はらすでにへる
 京師紅葉懐中軽
 みやこのもみじ かいちゅうさむし

語句の解説は省略。歓楽街の夜が更けた様がまざまざと描かれている。「按摩痃癖吹笳去/温飩蕎麦麪焚火行」などは時代劇映画のお定まりのシーンとも思える大いなるマンネリズムだが、おそらく当時としては新奇な情景描写だったのかも知れない。

しかも畠中観斎が『太平樂府』の諸作を成したのは十七、八歳の頃だったというから、ませガキもませガキ、ランボオもどきだったのだ。また、単に滑稽味だけをあおるのではなく、地方から都会に働きに出て来た若い娘が徐々に堕落してゆく姿だとか、貧しい私娼のありさま、学生の貧乏暮らし、田舎の農家の暮らしなど、おもしろうてやがて哀しいモチーフをも求めている。それはむろん政道批判というほどに尖ったものではなく、その一寸手前でとどまっているあたり、特定秘密保護法よりもきびしい掟に縛られていた社会ではいたしかたないのかとも思う。

検索してみると近年、太平書屋から斎田作楽編で『銅脈先生全集』上下が刊行されている。これは欲しい…けれど少々高価なり。

太平書屋新刊案内
http://beauty.geocities.jp/taihei_ganq/taiheihon/sinkan.html
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by sumus2013 | 2013-12-06 21:41 | うどん県あれこれ | Comments(0)
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