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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


団子坂から谷中五重塔を望む

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大竹新助『写真・文学散歩』(現代教養文庫、一九六二年十七刷)に団子坂上から谷中の五重塔を望む写真がありますよ、と某氏よりご教示をたまわった。さっそく入手してみると、まさに谷中安規の版画「動坂」にぴったり重なるような構図である。

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丸い街路灯まで同じではないか! 角度的にはほぼ同じくらいであろう。海抜は団子坂より動坂の方がやや高いのだろうか。安規の目線がより高いところから見下ろしているようにも思う(?)。本書の初版は昭和三十二年九月で五重塔が焼失したのが同年七月六日。志賀直哉が序文に

《この本は後になる程、その価値を益し、皆から喜ばれ、大切にされる本だと思ふ。露伴の「五重塔」の如き、大竹君が写した後で焼け失せたものであり、歳月を経ればこの上にも、かういふ場合がないとは云へず、今、かうして大竹君が写真に残してくれる事は後の文学研究者にとつて大変ありがたい事だと思ふ。》

と書いている。志賀の言う「五重塔」は本文七頁の露伴『五重塔』にまつわる写真。塔をアップで見上げた構図である。上の「団子坂」は夏目漱石の『三四郎』の舞台として掲載されている。

《この小説のもう一つの舞台、団子坂に行ってみた。ここは菊人形で名高いところだ。この付近は戦災に焼かれたと聞いていたが、坂の両側は昔のままで、一寸大正を、そして明治も偲ぶことが出来る。この坂を上りつめたところの左側少し入ったところが、森鴎外の屋敷跡ーー観潮楼跡で、坂の上から振りかえってみると、あの幸田露伴の"五重塔"ーー谷中天王寺の五重塔が望まれた。》

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おそらくこれらの写真が撮影された昭和三十年前後を境として、日本の風景は激しく変貌することになるのだろう。下の日本橋の俯瞰など、あと何十年かして首都高速道路が地下にもぐったら、再びこういう風景に戻るかもしれないが……。

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遠景には煙突が何本も見えている。方角からすると一九五〇年に発足した富士製鐵(旧・日本製鐵、七〇年に八幡製鐵と合併して新日本製鐵、現・新日鐵住金)だろうか(?)。おばけ煙突(撤去は昭和三十九年)じゃないが、当時はまだ都心にこんなものが乱立していたようだ。
by sumus2013 | 2013-11-11 20:30 | 古書日録 | Comments(0)
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