林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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クルヴェルの最期

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ルイス・ブニュエル『映画、わが自由の幻想』(矢島翠訳、早川書房、一九八四年)。この本からクルヴェルの自殺について以前引用したことがある。

クルヴェルが自殺した時、まっ先に駆けつけたのは、ダリだった
http://sumus.exblog.jp/18265728/

ジョゼ・コルティの回想においてもクルヴェルの死の前後のことが語られている。それはブニュエルのクールな書き振りとは違った、やや湿っぽい、情味のこもった内容である。

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ルネ・クルヴェル(一九二八年、マン・レイ撮影)

ルネ・クルヴェル(1900-1935)はパリのブルジョア家庭に生まれた。一九二一年にアンドレ・ブルトンと知り合って仲間になるが、二五年にはブルトンから離れてトリスタン・ツァラの方へ近づいた。二六年に結核であることが分る。二九年、トロツキーの追放が引き金となってシュルレアリストたちが糾合することになり、二七年からフランス共産党員(三三年除名)だったクルヴェルはシュルレアリストとコミュニストを結びつけようと努力した。三五年に文化防衛のための国際作家会議の組織に奔走。だが、シュルレアリストの代弁者だったブルトンとソビエト代表団のイリヤ・エレンブルグの間で暴力的な口論がもちあがり、ブルトンは会議から閉め出されてしまう。板挟みになったクルヴェルは絶望的になり、また結核の再発を知らされたこともあり、一九三五年一月一八日、ガス自殺を遂げた。

以上は仏ウィキによる型通りの略歴だが、かなり近いところでクルヴェルの死の状況を知っていたコルティは具体的に次のように書いている。

《ルネがわずかな人間的な暖かさを必要としていたとき、人は彼を拒絶した。最後通牒を突きつけた。ブランシュ広場のカフェで反対意見が出された。グループはひとつにまとまっていた(おそらくルネ・シャール以外)。クルヴェルは、除名覚悟でコミュニストたちに反論する道を選ぶしかなかった。教会が離教した僧侶を審判するようなものである。もしクルヴェルが引き裂かれるとしても、彼は断固として躊躇しないだろう。会議に報告しなければならない。それをブルトンに確認する。瞬時の判決。グループは彼を除名しない。彼は追い立てられ、氷のような沈黙のなか、まるで夢遊病者のように、ひどく興奮して、カフェから飛び出す。》

クルヴェルはカフェを出てジャンとコレットのデュヴァル夫妻の家に立ち寄った。彼を理解してくれ彼もまた心を許せる唯一の友である。しかしそれも慰めとはならなかった。彼は疲れていた。「うんざりだ dégoûté」と彼は言った。

クルヴェルはデュヴァル夫妻の赤ん坊に会いたいと言った。夜中だったので赤ん坊は眠っていた。クルヴェルはその小さなベッドの上に長い間かがみこんでいた。夫妻はいつも、あのとき彼は人生に最後の別れをしていたのだと思う。

その翌日、ジャン・デュヴァルはサンミッシェル大通りで、いつものように帽子も被らずに大股で歩いて行くクルヴェルを見かけた。折り鞄を腕にぶらぶらさせながら、機械的に、歩行者など無視して。あまりにいつも通りなのでデュヴァルは驚いた。昨夜の様子がまだ脳裏にあった。クルヴェルは人ごみに紛れて行った。それがジャンの見た最後の姿になった。

この同じ月曜の夕方、トリスタン・ツァラとともにクルヴェルは会議に出席した。どこで、誰と? 知らない。彼らは一緒にそこを出て話しながら歩いた、何を? コンコルド広場まで来て別れた。すっかり暮れていた。

家に戻ると、クルヴェルは一言なぐり書きをして枕の上にピンでとめた。「うんざりだ、火葬にして欲しい Dégoûté, je veux être incinéré」。そして睡眠薬を嚥み、効き目が遅いことを確かめて、ガスの元栓を開いた。

翌朝、女中が、部屋の扉が閉まっているのを、いつものことと気に留めなかったため、発見が少し遅れた。彼はまだ息があった。ブシコー病院へ搬送されたが、命は助からなかった。

彼が望んだ火葬のためにペール・ラシェーズ墓地へ運ばれずに、モンパルナス墓地(モンルージュ墓地)に埋葬された。穴の周辺には、家族と友人たちの二つの小さなかたまり。真ん中に祈りをあげる僧侶。シュルレアリストたちはいなかった。誰も哀れなルネ・クルヴェルが埋葬されるのに立ち会わなかったのだ。あれほど完璧にも彼らの友であったのに。トリスタン・ツァラはセレモニーには参加したが、グループの代表としてではなかった。同志の埋葬に立ち会いに来たコミュニストがたった一人いた。

というような様子であった。ブニュエルの話とはかなり違っているが、まあそれも愛嬌であろう。誤訳含みの拙訳ばかりで申し訳ないので自殺の原因についてのコルティの考えを表明した原文を引用しておく。

《Pour quelle raisonーquelles raisonsーCrevel s'est-il donné la mort? Il a emporté son secret avec luiーpar indifférence ou par mépris. Certains ont su, qui auraient pu parler. Ils se sont tus. Tzara en particulier. Et cette mort, non dans ses circonstances, mais dans ses causes profondes, reste enveloppée de mystère. Enfin, d'un mystère relatif.》
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by sumus2013 | 2013-11-08 22:23 | 古書日録 | Comments(0)
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