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林哲夫の文画な日々2
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マン・レイのオブジェ_f0307792_16585525.jpg
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ブログ移転しました

daily-sumus3


# by sumus2013 | 2022-09-03 17:02 | もよおしいろいろ | Comments(0)

THE STUDIO

THE STUDIO_f0307792_17033262.jpg

イギリスの美術工芸雑誌『THE STUDIO』の栞というのか、挟み込みの広告を頂戴した。御礼申し上げます。手のひらサイズ、ハガキとほぼ同じくらいで三つ折り。その間に3枚の注文票(オーダー・フォーム)が挟んである。このデザインがなかなかモダン。

The Studio (magazine)

ということで、daily-sumus2 も長らく続けてきたため画像の容量が満杯になった(無料ブログなので上限あり)。ここしばらくは昔の画像を少し削って新しい画像を入れるということにしていたのだが、どうもそろそろ移転する時期かと踏ん切りを付けて、下記に移転します。『THE STUDIO』の栞のつづきはこちらで。

daily-sumus3

# by sumus2013 | 2022-09-02 19:00 | 古書日録 | Comments(0)

賽の一振り

賽の一振り_f0307792_20472015.jpg


『叢書・エクリチュールの冒険 賽の一振り』(柏倉康夫訳、月曜社、二〇二二年三月一八日)読了。『賽の一振り』については、もう十年以上前になるが、『ステファヌ・マラルメ 賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう 原稿と校正刷 フランソワーズ・モレルによる出版と考察』(柏倉康夫訳、行路社、二〇〇九年三月二五日)を紹介したことがあった。その本には、雑誌発表の紙面、自筆原稿、豪華版の校正刷などがカラー図版として収められており「賽の一振り」を研究するための必読書となっているのだが、ただし、詩そのものの日本語訳はあえて付されていなかった。原文は短い語群として逐語的に周到に翻訳されている。この詩そのものがそれらの語群につながりをもたせることを読者に任せている気味もあるため、それはそれで非常に賢明な判断だと思われた。

しかしながら

《行路社版では全文を通読できない体裁だったので、可能な限り読みやすい翻訳を達成して全文を通読しうる状態にすることが第一で、そのために原詩のドニ・ラヴァンによる朗読(これもひとつの解釈である)を繰り返し聴きながら、原文のテクストを日本語に移す作業をすすめた。》(p84)

《今度の月曜社版ではあえて、マラルメが望んだ詩形の再現を目指した。このためには、マラルメが方眼紙に自筆で書いた清書原稿と同じ大きさとするのが理想だが、訳書ではA5判を採用し、そこに220行を可能な限り原文の配置に忠実であるように組んだ。
 書体については、原文ローマン体は訳文では明朝体、イタリック体は明朝斜体とし、語頭のみが大文字の言語とすべてが大文字の言語は、訳文ではゴシック体に代えた。活字の号数、活字の太さ細さについても、可能な限り原文に忠実に再現した。》(p86)

《月曜社の小林浩氏が『賽の一振り』を単行本として刊行するという英断、マラルメがヴァレリーに思わず漏らした「狂気の沙汰」を試みる英断をした理由のひとつは、筑摩書房版『マラルメ全集』の第I巻として発表された清水徹訳や、思潮社版の秋山澄夫訳が、入手の難しい現状にあると聞かされていたことである。さらに、行路社版を刊行した後、多くの読者から、ひと続きの作品として読んでみたいという要望が寄せられていた。》(p86-87)

というような理由で本書が実現されたわけである。さすがの柏倉訳。明晰さと読みやすさを兼ね備えた現時点での決定版と言える。作品そのものについては「訳者解説」に行き届いた分析がなされており、この作品の場合は、あるいは、こちらを先に読んだ方が、取っ付きやすいかもしれない。むろん、先入観なしにテクストを読むのが本筋かと思うしマラルメもそれを勧めてはいるけれど。

また「訳者解説」には、この作品の成立と発表、とくにルドンの挿画を入れる予定だったヴォラール(例の画商のヴォラールである、出版も手がけた)版のために骨身を削る様子が事細かに描かれており、幼い息子を亡くした父親同士(マラルメとルドン)の交渉の濃やかさも伝わってくる。ヴォラールから豪華本の詩画集出版の話があったのは一八九六年一二月。挿絵をルドンに依頼すると聞いたマラルメは心を動かされた。次いで「賽の一振り」が雑誌「コスモポリス」に発表される。

「コスモポリス」から何でもいいから原稿が欲しいと依頼されたマラルメはこの型破りの作品を渡した。掲載は認められたものの説明文を付すことを求められ「詩篇「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」に関する考察」を執筆したが、それは詩の前に編集部注として掲載された(本書では詩の後に付録Iとして訳されている)。そこではこのような説明がなされている。

《まったく新しい性格のこの作品で、詩人は言葉で音楽をつくりだそうと努めた。いわば一種の全体的ライトモチーフが繰り広げられ、それが詩篇の統一を形成し、いくつもの副次的モチールがその周辺に集まって、グループを形成している。用いられているさまざまな種類の活字が持つ性質と、さまざまな余白の位置とが、音楽的な音色と間[ま]の代わりとなっている。》(p30)

こんな説明が不要な読者もいた。ヴォラールもその一人だった。

《翌1897年5月5日、書店に並んだ「コスモポリス」を目にしたヴォラールは、驚くと同時に魅了され、ぜひこれを豪華本にしたいとマラルメに提案した。そして「コスモポリス」が刊行された翌日には、著作権料500フランのうち200フランを手付金として支払った。「コスモポリス」の紙面の割り付けに不満だったマラルメは、「賽の一振り」をルドンの版画入りの豪華本として新たに出版できることに満足だった。そして希望通りの印刷を実現するために、気に入りの活字を求めてパリ中の印刷所を訪ね歩き、フィルマン=ディド印刷所で、ようやくそれを見つけることができた。》(p43)

さすがヴォラール、一目で「いける!」と直感した。手付金も素早く払った。セザンヌを売り出した画商だけのことはある。マラルメの造形的な試みの価値を瞬時に理解した。絵(あるいは版画)と同じような見方でその詩はスッと入ってきたに違いない。

ところで、ヴァレリーは誰よりも先に「賽の一振り」の原稿を見せられた人物だったが、そのときの印象を次のように述べている。ある日、パリのローマ街にあるマラルメの住居へ呼ばれた。ヴァレリーの前でマラルメはぶっきらぼうに詩篇を読み始めた。『ヴァレリイ全集VI マラルメ論叢』(筑摩書房、昭和十八年)より「骰子一擲」(伊吹武彦訳)から。

《黒ずんだ、四角な、捩れ脚の木のテーブルの上へ、彼は詩稿をならべ、低い、抑揚のない声で、些かの《効果》も狙はず殆どわれに語るかのやうに読みはじめた……》(p101)

《一層大きな驚きに対する単なる準備ででもあるかのやうに、彼の『骰子一擲』を甚だ平板に読み終つたマラルメは、遂にその字配りを私に示した。私には一つの思想の外貌がはじめてわれわれの空間内に置かれたのを見る気がした…… まことやここには、拡がりが語り、夢み、現実的形体を生んでゐた。期待とか疑惑とか注意の集中とかが可視物となつてゐた。私の視覚はいはば実体化した数々の沈黙に相対してゐるのであつた。私は評価を絶した数瞬間を心ゆくままに打眺めた。》(p102)

《それは眼のための囁きであり、ほのめかしであり、雷鳴であつた。思考の究極まで、曰く言ひ難い決裂の一点までページからページへと運ばれた大きな精神の嵐であつた。そこには怪異が起つてゐた。そこには紙片そのものの上に、最後の星辰の不思議な燦めきが、意識の隙間に限りもなく清く顫へてをり、しかもその同じ虚空には、一種の新しい物質のやうに、堆くまた細長く、また系列的に配置されて「言葉」が共存してゐたのである!》(p103)

ヴァレリーも一瞬にしてその真価を見抜いた。そして魅惑された。このヴァレリーの回想でも分かるように、この詩篇は音楽的に読むものではなかった。上に引いた解説とは矛盾するようだが、音楽的とはあくまで文字の視覚効果を意味するということなのだろう。ヴァレリーは一八九七年三月には「コスモポリス」の校正刷も見せられたし、その後間もなくヴァルヴァン(マラルメの別荘)でヴォラール版の校正刷を前にして意見を求められもした。

《彼の発見の一切は、数年がかりで続けられた言語と書物と音楽との分析から導き出されたものであり、視覚的単位である紙面の考察に基くものである、彼は黒白配合の効果、各種字体の比較強度を極めて入念に(ポスターや新聞の上ですら)研究した。》(伊吹訳、p107)

《彼は面的読法を導き入れ、これを線的読法に繋ぎ合はせる。そしてそれは文学の世界に第二の次元を加へることであつた。》(同前)

マラルメは詩人としてタイポグラファー、いやエディトリアル・デザイナーであろうとした。フランス語ではマケティスト(maquettiste)か。テクストの内容を余白を含めた文字の配列においても表現しようと試みた稀有な詩人であった。

惜しくも、マラルメはヴォラール版を完成させることなく、一八九八年九月九日、避暑のために滞在していたヴァルヴァンの別荘で急死した。ちょうど今から百二十四年前のことである。

柏倉氏の解説によれば、日本語訳には次のような版がある。

01)マラルメの「イジチュール」「双賽一擲」覚書 田邊元訳 季刊誌『聲』8〜10号 丸善 1960-61
02)『双賽一擲』試譯附註 田邊元訳 『マラルメ覚書』所収 岩波書店 1961.8
03)骰子一擲 秋山澄夫訳 私家版 1966 限定50部 
04)詩篇骰子一擲いかで偶然を廃棄すべき 秋山澄夫訳 季刊誌『反世界』創刊号 木曜書房 1967.7
05)骰子一擲 秋山澄夫訳 特装版全3冊 限定100部 思潮社 1972.11 星崎孝之助挿画
06)骰子一擲 秋山澄夫訳 改訂版 思潮社 1984.12
07)骰子一擲 江原順訳 季刊誌『阿礼』第34号 阿礼の会 1986.3
08)骰子一擲 秋山澄夫訳 改訂版新装縮刷版 思潮社 1991.9
09)賽の一振り 清水徹訳 『マラルメ全集I』所収 筑摩書房 2008.5
10)ステファヌ・マラルメ「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」 柏倉康夫訳 行路社 2009.3
11)『双賽一擲』試譯附註 田邊元訳 『死の哲学 田辺元哲学選IV』所収 岩波文庫 2010.12
12)賽の一振り 柏倉康夫訳 月曜社 2022.3

ちょっと調べてみると、秋山澄夫訳の限定版はやはり入手しにくく、思潮社版『骰子一擲』はいちばん普及しているようで容易に見つかる。行路社版は amazon で入手可能、ほぼ定価ていど。マラルメ全集は「I」がキキメ。全五巻だと十万円以上はしている。岩波文庫の田辺元がなかなかの稀覯本になっていて驚かされる(『聲』はセットで岩波文庫より安価)。



# by sumus2013 | 2022-09-01 21:00 | おすすめ本棚 | Comments(0)

横尾さんのパレット

横尾さんのパレット_f0307792_20230740.jpg
自画像 1983



神戸市の横尾忠則現代美術館へ。「横尾さんのパレット」展開催中(〜12.25)。この美術館に変身してからは初めての訪問。以前は兵庫県立近代美術館の別館(西館)で、たしか常設展や版画などを展示していた建物。

《横尾忠則からの寄贈・寄託作品を適切な環境で保管し、多くの人に鑑賞していただくため、兵庫県立美術館王子分館(旧兵庫県立近代美術館、村野藤吾設計)の西館をリニューアルし、2012年11月に開館しました》(同館サイトより)

《横尾作品の特徴である鮮やかな色彩に着目し、約40年の画家活動を振り返る展覧会。「ピンクガール」、「Y字路」、「A.W. Mandala」、「寒山拾得」など歴代の代表的なシリーズを含む作品を、テーマや様式から解放して色で分類、展示室をパレットに見立てたインスタレーションでヨコオワールドを再構築します。》(同展ちらし)

横尾が画家宣言してから四十年経つということにまず驚かされる。グラフィック・デザイナーとしての存在があまりにも大きいので画家としてはどうなのか? 一九八〇年代初頭、画家宣言の頃はちょうどニュー・ペインティングというものが流行っており、横尾もそのムーブメントのなかで転身を成功させた。それは一時的なものかと小生などは当時思っていたのだが、ところがどっこい、四十年経っても、表現には年齢や時代とともに多少の変化はあるにせよ、良くも悪くも、横尾はほとんど変わらずその仕事を続けてきたのだ。

パレットや使い古しの絵具チューブの展示が新鮮だった。いろいろな種類の横尾が使ったパレットが額縁に入れられている(ちょっと皮肉っぽい)。なかではパーテイなどで使う紙皿をパレット代りにしているのはアイデアだ(ちらしにもなってます)。こういう手があったかと感心した(紙パレットというものは以前からあったが、紙皿の方がずっとお手軽)。

横尾さんのパレット_f0307792_20231141.jpg


横尾さんのパレット_f0307792_20231503.jpg


全体の感想を言えば、横尾忠則の脳のなかを旅行した、というにつきる。彼の脳内では様々な要素が入り乱れ、いろいろなオブセッション(Y字路など、くりかえし登場)に絡みとられるような、時間を超越した不思議な感覚だった。

作品としていちばん印象に残るのは一九五四〜五五年頃(十八、九歳)に描かれた「飾磨港風景」。ここからデザイナーへ向かって行くのも納得できるし、晩年におけるニュー・ペインティングの萌芽も見られるような、気持ちのいい油絵だった。

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飾磨港風景 1954-55



四階には横尾忠則コレクションルームがあった。目下は、横尾の所蔵する版画、ウォーホル、ジム・ダイン、ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズなどとともに、マン・レイ「ふたつの顔のイメージ」(リトグラフ、1971)やピカビア、デ・キリコもあって、ちょっと得した気分になれた。

ごく一部の展示を除き、横尾作品は撮影OK。

# by sumus2013 | 2022-08-31 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

木の十字架

木の十字架_f0307792_16081450.jpg


堀辰雄『木の十字架』(灯光舎、二〇二二年八月二〇日、装幀=野田和浩)読了。巻頭「旅の繪」は久しぶりに読み返した。やっぱり良い。かなり前のブログに何か書いたことを思い出して検索してみた。

《堀辰雄に「旅の絵」というエッセイがある。初出は「新潮」1933(昭和8)年9月号。たしか竹中郁の『一匙の雲』(ボン書店、一九三二年)の出版記念会に参加がてら神戸を訪れたのだった、と思っていたらそれは『象牙海岸』(第一書房、一九三二年十二月)ですよとご教示いただいた。訂正します。そのときの様子を印象深く書き留めており、堀辰雄のなかではいちばん好きな作品である。

堀はトアロードの突き当たりにある安宿ホテル・エソワイアンに泊まり神戸をあちらこちら散策する。そのときに海岸通のある薬屋で海豚叢書の『プルウスト』を購入するのだが、その薬屋とは英三番館と呼ばれるトムソン調剤薬局(J.L.THOMPSON & CO. DISPENSING CHEMIST)のことで、外国人向けの雑貨店を兼ねていた(現在は旧居留地の三井住友銀行の一角らしい)。

堀が買ったという《海豚叢書の「プルウスト」》とはいったいどんな本なのか? 気になって、あれこれ検索した結果、サミュエル・ベケットの『Proust』(Chatto & Windus,1931)だろうと見当をつけることができた。これは「Dolphin Books series」の一冊なので「海豚叢書」でまず間違いないだろう。ベケットの実質的な処女作らしい。堀が購入した前年に刊行されているということは、トムソン調剤薬局には新刊書として並べられていたと思ってもいいかもしれない。》

エッセイと書いているが、堀流の私小説と言っていいだろう。そこにはいつも本が登場する。登場するだけでなく、かなり大きな役割を担っているのだ。本が好きと言っても読むだけじゃない、造型としての本にも堀は繊細な感覚を持っていた。選者の山本善行は解説でこう書いているが、その通りだろう。

《堀辰雄は本を愛した作家であった。装幀や造本にも特別な関心を持っていたのは、その著作『聖家族』、『ルウベンスの偽画』などを見ても明らかで、日本の装幀史の中でも特別な輝を持つ本を、江川書房とともに作ったのである。》(p101)

たしかに『聖家族』の小ぶりで真っ白な造作にはシビレる。『風立ちぬ』はあの野田書房から出た。これまた異彩を放っている。

聖家族

「旅の繪」では海豚叢書だけではなくリルケの詩集が重要な小道具として用いられており、オチ(?)のようなものまでついている。書物小説の傑作と勝手に太鼓判を押しておく。

「旅の繪」の次に置かれている「晝顔」は東京下町の長屋が舞台。向島から芸妓に出ることが決まった娘照ちゃんが従弟弘の家に挨拶に来るというだけの話である。二人は幼なじみ。その関係が成長とともに変質してゆく、そのあたりの機微を描いている。ありがちな状況設定だなと思いつつ読んでいくと、照ちゃんが手にしている本が、こともあろうに……。

《「何を讀んでいるんだい? 小説?」それを少年は覗き込むようにして見た。
「ええ、弘ちゃんも小説讀むの?」
「僕だって小説ぐらいは讀むさあ……それは何の小説だい?」
「モオパスサンよ……でもこんなのは弘ちゃんは讀まない方がいいわ……」
「そんなの知らないや……僕は探偵小説の方がいい。」
 少年だってモオパスサンがどんな外國の作家だかぐらいはこっそり聞き嚙っている。しかし、わざと娘にそんな返事をしてやった。》(p44-45)

これにもオチがあって、最後の頁で娘が帰った後におばさんが忘れ物を見つける。

《長火鉢の傍に置き忘れられてある黃いろい表紙の本を取り上げた。字のよく讀めないおばさんには、モオパスサンという片假名だけはわかったが、それがどんな題の、どんなことを書いた本だかは、すこしもわからないのである。……》(p51)

黃いろい表紙とはどこの版だろうか? 国会図書館で「モオパスサン」を検索すると翻訳書としては二件のみ。広津訳と考えるのが妥当か。

森の中 モオパスサン 作 ; 小形青村 訳 [出版者不明] 1914
女の一生 モオパスサン作 ; 廣津和郎譯 新潮社 1918

モーパッサン翻訳書誌

「「青猫」について」は萩原朔太郎との版画荘での出会いを中心に描いている。一九三五年の春先。裏通りで二人はばったり出会った。

《「ちょうど好かった。君はまだ山のほうかとおもっていたんだがね……」
 そう云われながら、萩原さんは、その裏通りに面して飾り窓に版畫などを竝らべた小さな店のなかへ私を連れてはいられた。その店はこのごろ詩集の出版などもやり、ちょうど萩原さんの「青猫」の édition définitive が出來たところで、それへ署名をしに來られたのだった。
 「君にも上げたいと思っていたのだ。」
 萩原さんはそういうと、最初手にとられた一冊を無ぞうさに署名をして私に下すった。》(p57-58)

堀は学生時代に「青猫」を愛読していた。

《十年ばかり前の、もっとざらざらした紙に印刷され、もっとちぐはぐな挿繪の入っていた「青猫」の初版が出た當時のこと、私がまだ十九かそこらでその詩集をはじめて求め得て、黑いマントのなかにその黃いろいクロオスの本をいつも大事そうにかかえて歩いていたことなどを、それからそれへと思い出していた。》(p58)

《夕がた近く、私達はその版畫荘を出て、また竝木のある裏通りを歩き出した。歩きながら、私はまだときどきその「青猫」をいじっていた。私がややながいこと表紙のいくぶんビザアルな猫の繪に見入っていると、
 「ふふふ、その猫の繪は自分で描いちゃったんだ。」
 そう、萩原さんはさもおかしそうに笑って云われたが、それから歩き歩きこんどの édition でいろいろ苦心した點などをいかにも快心らしく話し出された。》(p59)

つぎの「二人の友」は中野重治と窪川稲子について。窪川稲子と堀は小学校の同級生だった。稲子は丸善に勤めていたことがあったそうだ。そして最後に表題作「木の十字架」。これは立原道造の回想になっており、同時に第二次世界大戦がはじまったその瞬間の軽井沢の空気がよく分かる。

堀辰雄を読み直す、だけでなく、あらためてその作品の価値を見直させてくれる一冊である。

# by sumus2013 | 2022-08-30 16:12 | おすすめ本棚 | Comments(0)