林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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厄除け詩集

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持っているという記憶がなかったのだが、書棚をふと見ると井伏鱒二『厄除け詩集』(講談社文芸文庫、一九九四年七月二〇日三刷)が挿してあったので、アッと思って、抜き出してみた。そうだったのか、どうして宮崎修二朗翁が最初に『臼挽歌』のことを大岡信に知らせたのか納得できた(触媒のうた)。大岡は本書に解説「こんこん出やれーー井伏鱒二の詩について」を寄稿している。その初出が『海』昭和五十二年八月号なのである。ということは初出の時点では大岡は『臼挽歌』を知らなかった。

実は私は、これらの訳詩の由来についての「田園記」の記述は、井伏氏独特の作り話であろうと思いこんでいたが、宮崎修二朗氏の教示によって現実に下敷きになった本があるのを知り、むしろ意外な思いさえした。

この後に続けて若き井伏が『伊沢蘭軒』連載中の森鴎外にニセの手紙を書いたことや『遥拝隊長』に出てくる俚謡とされる詩が「つばなつむうた」として本書に収められていることを挙げて「田園記」の井伏自身の記述を信じなかったことについて多少の弁解を試みている。井伏が嘘つきなのは間違いない。しかし嘘には本当というタネが必要なのである。

本書は『井伏鱒二自選全集』(筑摩書房、一九八六年)と筑摩版『厄除け詩集』(一九七七年)を底本としているそうだ。河盛好蔵の解説「人と作品」に付された書影は昭和二十七年に木馬社から出た『厄除け詩集』である。初版は昭和十二年(野田書房)と年譜にあるのでネット上で書影を捜したのだが、けっこう手間取って、やっと見つけた。コルボオ叢書の一冊として百五十部だけ刊行されたようだ。

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# by sumus2013 | 2017-07-20 20:14 | 古書日録 | Comments(2)

初期「VIKING」復刻版

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初期『VIKING』の復刻版が出るという話は、昨年、茨木市立中央図書館で「筆に聞いてんか 画遊人・富士正晴」という講演をやらせてもらった日に中尾務さんから聞いていた。どうやらそれが刊行されたらしい。留守中に中尾さんが『初期「VIKING」復刻版 解説/総目次/執筆者索引』(三人社)を送ってくださっていた。深謝です。詳細については下記サイトをご覧頂きたい。それにしても三人社、恐るべき出版社なり。

(株)三人社

海賊たちの破天荒な航海日誌
初期「VIKING」復刻版(1947年〜1953年)

ここに収録されている中尾さんの論考を読み始めて、いきなりこんなところで止ってしまった。

ちなみに、富士は島尾から借りた花田清輝『復興期の精神』ではじめてVIKINGの名を知り誌名としたと回想している(「VIKINGの初めの頃」1967・10『VIKING』202)が、誌名『VIKING』決定の直前に読んだ『復興期の精神』は、富士が義弟・野間宏に依頼、版元の真善美社から送られてきたものである(1947・7・29付野間宛て富士封書。7・31消印富士宛て野間ハガキ)。

真善美社版の花田清輝『復興期の精神』は、つい先日ここで紹介したばかり。ただし我観社版。その第二版が一九四七年二月に真善美社から出た。

花田清輝『復興期の精神』(我観社、一九四六年一〇月五日)

止ってしまった理由はもちろん『復興期の精神』のどこにVIKINGが出ているか捜し始めたからである。目次にはそれらしき名前が見出せない。文章のどこかに登場するのだろうか、これは厄介だ。とにかくそれらしいところをペラペラめくってみる。「楕円幻想」ヴィヨン、「極大・極小」スウィフト、あるいは「汝の欲するところをなせ」アンデルセンか……と思ったが出て来ない。諦め気味にパラパパラっと流していると、コロンブスの文字が見えた、コロンブス=船乗り、これか? と思ったら、出ていました。

アメリカは、ヴァイキングの間では「葡萄の國[ヴインランド]」として、はやくから知られてをり、その最初の発見者は、グリーンランド生れのリーフ・エリクソンだといふので、コロンブスの名聲を眞向から否定しようとする人々がある。》(架空の世界)

かれの空間にたいする愛情は、旋回し、流動する空間、ーー時間化された空間にたいして、そそがれたのではなかつたか。羅針盤は壊れる。しかし、船は、まつしぐらに、虚無のなかを波を蹴つてすすむ。虚無とは何か。檣頭を鳥が掠め、泡だつ潮にのつて、海草が流れてゆく。》(同)

しかし、空間は至る處にある。新しい世界は、至る處にあるのだ。たとへ、それをみいだすために、コロンブスと同樣の「脱出」の過程が必要であるにしても。(同)

うーむ、カッコよすぎる。富士も唸ったに違いない。これなら雑誌名は「コロンブス」の方がよかったかもしれないな、とつまらないことを考えた。しかし、ヴァイキングはコロンブスに先立ってすでに虚無の海図を知悉していた。ならば、やはりヴァイキングに軍配が上がるのか。

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# by sumus2013 | 2017-07-17 21:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

アソシエ書店

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今回の収穫として第一に挙げなければならないのはシェ・レ・リブレール・ザソシエ(Chez les libraires associés)への訪問である。ミッテラン図書館でのトポール展についてはすでに報告した。その展示に同調する形で「ここでもトポール展が開かれているよ」とパリ在住の知人が教えてくれた。それは是非とも訪問しておきたいと、ホームページをチェックしてみたが、その時点でこれはなかなかの書店だと驚かされた。日本の絵本なども扱っている。

Chez les libraires associés
3 RUE PIERRE L'ERMITE
75018 PARIS FRANCE

十八区、地下鉄二号線ラ・シャペル下車。ラ・シャペルは北駅と東駅に挟まれた場所で、インド人街のような雰囲気の一角もあり、中東やアフリカの人達も数多く行き交っている。見たこともないような果物が八百屋に並んでいて目を射られたり、派手な民族衣裳で闊歩する女性たちに圧倒されて道を間違えてしまったり、それでもなんとか目的の通り番地に辿り着いた。

上の写真がそのピエール・レルミット通り。まあ、とりたてて変哲もない街路である。商店もほとんどなく住宅街と言っていいだろう。この写真の左手前に移っている建物の一階にリブレール・ザソシエはあるはずなのだが、看板も何も一切出ていない。3番地の両開きの扉(もうひとつ片開きの扉もあるので注意)の脇に付いているソヌリ(ボタンを押す式の呼出ベル)のひとつに「Librairie」と手書きのシールが挟んであるだけ。まあここしかない。とにかくボタンを押す。すると「カチッ」とかすかに鍵が開いた音がした(パリではどこの玄関でも鍵を開けると同じような小さな金属音がする)。扉を押して中に入る。

入ってビックリ。高い天井、壁際は一面の書棚、スーッと奥へ真直ぐ伸びた廊下は広々として何も置かれておらず、清潔な図書館を思わせる。入ってすぐ左手に一室、突き当たりに一室、その左奥に一室、さらに地下室もある。トポールの展示を見たいというとレジ机にいた男性は地下へ行けと階段を指さした。

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地下室へ降りてまたまたビックリ。古本屋というよりアート・ギャラリーの雰囲気である。実際、地下室はおおむねギャラリーとして使われているようだ。手紙や自筆デッサン、書き入れや献辞またはイラストの入った書籍、版画やポスター、生写真、その他見た事もないようなトポール表紙の数々の本が並んでいた。十年かけて集めたのだそうだ。もちろん全て売り物、Bnfと違ってどれでも買い取っていいわけだ。いちおうこの展示は会期を区切っているから売約済みの赤丸が付いているものがかなりあった。

自筆モノが欲しかったが、むろんそれなりに高額である。なかなかうまい値付けになっている。じつはもうすでにそこそこ値の張るトポール関連品を他所の店で買ってしまっていた。もし、それがまだだったなら、小さな落書きのようなスケッチを買えたのだが……。まあ予算は決まっているのでどうしようもない。買える範囲内で何か欲しい。会場をうろうろすること小一時間。迷いに迷ってジャン・ジャック・ポヴェールから一九六八年に出た『TOPOR La vérité sur Max Lampin』に決定。ショーケースに入っていたので取り出してもらう。そこには同じ本が二冊並んでいて、一方は状態が悪く、もう一方はかなり綺麗な本。ただし値段は倍違う。いつもの小生ならゼッタイ安い方にするところだが、今回は高くて状態のいい方を選んだ(よし、よし)。「持って帰っても大丈夫ですか?」と尋ねたら「これは他にもう一冊ありますから、問題ありません」という答え。さすが……。

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日本の本が並んでいるだけあって若い店主(の一人)は「ぱりニ、スンデイマスカ? カンコウデスカ?」などと日本語を操るのである! これにもちょっと驚いた。英語は珍しくないが、日本語を話す古書店主はまだ珍しいと思う(日本人店主は別です、勿論)。

その何日か後、別の古本屋さんにやや興奮気味にアソシエ書店の話をした。
「あそこは三人でやっていてね、もとはサントゥーアンにいたんだよ。うちの店にもよくやってきて何度もいい本を抜いて行った。あとで彼等の値付けを見て地団駄踏んだこともあったよ。今、パリでいちばん元気がいい店なんじゃないの」
サントゥーアンはクリニャンクールの蚤の市のことである。

そして、今、アソシエ書店を検索していてまたもやビックリ、な、なんと以前 daily-sumus でも取り上げたことのある新発見のランボーの写真、それを掘り出したのが、このアソシエ書店の経営者の一人ジャック・デッス(Jacques Desse)氏ではないか。ランボー売ってこの店を買ったのかなあ……!?

ランボーの知られざる写真

Chez les libraires associés
Ce blog est consacré à la photographie d'Arthur Rimbaud à l'Hôtel de l'Univers

そして、京都に帰ってから、もう一度、アソシエ書店には驚かされた。なじみの古本屋さんに「パリに凄い本屋さんがあったよ〜」などとペラペラ話していると「あれ、その人たちうちの店に来たことあるよ」……。なるほどねえ、日本語しゃべるはずだよ。

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# by sumus2013 | 2017-07-16 21:07 | 巴里アンフェール | Comments(0)

コーネルへのオマージュ展

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所用のついでに神戸で本日から開催の『百窓の半分 ジョセフ・コーネルへのオマージュ』展へ。五十人以上の参加者による箱または箱に類する作品が並んでいる。こんな展示は滅多に見られるものではないと思う。日本人だけではなく外国の人たちの作品も多く、そのテイストがさらに展示に広がりを与えている。

ギャラリーAO
https://www.yelp.co.jp/biz/ギャラリーao-神戸市

下は仕掛人の小野原さんがその出品に感激したという塩見允枝子氏の作品。岡山生れの現代音楽作曲家で一九六四年渡米しフルクサスにも参加したという女史の作品は「ビー玉の為の十四の指示」(旧作の再制作だとのこと)。指示の印刷された紙をシュレッダーにかけて(切り刻んで)小箱に収めた作品。さすがフルクサス……

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帰途、街の草へ。加納さん、元気そうだった。例によって本が店内に山積み。店頭に出ていた図録などの他に20円均一箱(文庫本の裸本ばかり)から水上勉『古河力作の生涯』(文春文庫、一九七八年)を拾う。これ読まなくちゃ、と思っていたところ。元本は平凡社刊で、日本の古本屋では案外と安くない。加納さんも「それ、最近、見ないよ」と。読めればいいので嬉しい。

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その後、二駅引き返して甲子園へ。みどり文庫さん。こちらも頑張っておられる様子、何より。

ツレヅレナルママニ(みどり文庫)


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# by sumus2013 | 2017-07-15 21:05 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

星とくらす

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田中美穂『星とくらす』(WAVE出版、二〇一七年六月二四日、ブックデザイン=松田行正+梶原結実、イラスト=木下綾乃)。田中さんの理科三部作完結!

『苔とあるく』(WAVE出版、二〇〇七年)

『亀のひみつ』(WAVE出版、二〇一二年)

星についてはほとんど興味がなかったのだが、この本は非常に分りやすく、お子たちにも読んでもらえるくらい、丁寧に書かれているので、通読すると、ついつい空を見上げて星々の様子を眺めたくなってしまった。いや、正しくは星についての古本を見つけたくなったと言うべきか(笑)。

いかにも古本屋らしいのだが、星に親しむことになった大きなきっかけは、野尻抱影と稲垣足穂だった。どちらも「星の文筆家」といえる存在だろう。
「花が植物学者の専有で無く、また宝玉が鉱物学者の専有で無いように、天上の花であり宝玉である星も天文学者の専有ではありません」。
 星や星座、星座神話などについての数多くの著作による一般の人々への天文学の啓蒙と、星の和名の採集とで知られる野尻抱影が、ごく初めのころに著した『星座巡禮』という本の冒頭でそう述べている。また、この本を愛読していたという稲垣足穂も、「横寺日記」のなかで、「花を愛するために植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りではなかろうか?」と書いていた。どちらも、難解な天文学を前に足がすくんでしまったとき、たびたび口ずさんできた。
 とはいえ、やはり自然界にあるものを眺めるとき、多少なりとも知識はあったほうが楽しい。もちろん、それぞれが、それぞれに無理のない範囲で。そんなことを思いながら、この本を書いた。当初は、ごく個人的な星空のエッセイという形で書きはじめたのだが、やはりいくらかは基礎知識などもあったほうが楽しいだろう、と思い直し、このような本になった。これまでの『苔とあるく』『亀のひみつ』にくらべ、いくぶんエッセイの要素が強くなっているのはそのためだ。》(おわりに)

イラストも分りやすいが、何より星の写真が美しい。例によってカバーの裏面にも写真が印刷されており、本書ではそれが天の川銀河(と思いますが?)、何とも言えずいい感じだ。今それをPCの横の壁に広げて貼付けてある。

星なくしてはわれわれは存在し得ない。地球も太陽も星である。原始の地球に小さな星が衝突して月ができた…というのが最近の定説らしいが、あまりに身近でありながら、それらがじつに遠大な時間や空間を孕んでいることが、まず恐ろしいくらいに不思議だ。人間という極めて極めて小さな存在に何か意味があるのだろうか……。

星というものは、眺めれば眺めるほど、親しみが増してくる。この親しみの感情は、まったくわからないことだらけの星空に対してなのに、ほんとうに不思議なものだなと感じる。そして、こんなふうに、物理的な制約を振り切って、心が軽々と広がっていくことのできる宇宙というものの広大さは、知らないでおくにはもったいない。
 この本が、ふだんより少しだけ目線を上げ、星々に近づくきっかけとなりますように。》(同)

とりあえず、どんなに小さくても存在の一部には違いないのかな、と夜空を見上げて考えた。

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# by sumus2013 | 2017-07-14 20:15 | おすすめ本棚 | Comments(0)

マルシェ・ド・ラ・ポエジィ

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サン・シュルピス広場での古本市が終わった次の週には「マルシェ・ド・ラ・ポエジィ Marché de la Poésie」が開かれた(六月七日〜十一日)。これは一九八三年から始められ、今年は三十五回目だそうだ。フランス全土の詩集の出版社が一堂に会して(外国からの参加もあり)、その出版物を展示販売し、朗読会やトークイベント、コンサートなどさまざまな催しを行うというお祭りである。ブースは百二十以上あり、『デ・レットル・マルシェ』という新聞に顔写真が掲載されている参加者は二百五十二人以上。ブース(テント)の数は古本市よりも多い。日本人の参加者はいないようだった(中国人は何人か)。

上は参加出版社のデータおよびイベント内容の詳細が記された冊子(2ユーロ)。コンサートも Baron Bic(ロック)、ポエム・ジャズ、Sarah Olivier(歌手)とヴァラエティに富んでいて、のぞいてみたくなるラインナップだと思った(思っただけで実行せず)。

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各出版社の刊行物をざっと見て回る。詩集の装幀というのはだいたいその国の装幀のレベルを体現している、はずだ。全般的にはやはりフランスらしく素っ気ない文字だけの並製本が多い。ただ意外とイラストや写真を表紙全面に配したヴィジュアル系の装幀も目立っていた。あまり凝った造本はなかったように思う。オリジナル版画などを使ったアーティスト・ブックはいくつかのブースで展示されており、ルリュール・ジャポネーズ(和綴じ)の手作り詩集も見かけた。

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初日だったが、しばらく聞き惚れたのは「スロヴェニアとの出逢い」という朗読会。ちょうど始まったばかりで、スロベニアの詩人たちが何人か演壇に上っていた。一人で原語で読む場合と、二人並んで、一人は原語、もう一人が段落ごとにフランス語に訳して代わる代わる朗読するというやり方もあった。フランス語で聞いてもほぼ分らないが、スロベニア語は音楽も同然であった。しかし、それでも何か伝わってくるものを感じた。言葉の力というか、朗読には朗読の良さがある。かつて京都在住の詩人・萩原健次郎さんは招かれてここで朗読したと聞いた。

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マルシェ・ド・ラ・ポエジィが終わると、その次には六月十二日の一日だけ「版画の日 JOURNÉE DE L'ESTAMP」という催しが行われた。知らない作家ばかり。なかなか楽しい展覧会だった。版画だけに100〜300ユーロくらいで買える作品も少なくなく、かなり食指が動いたが、持って帰るのも難儀だし、どうしても欲しいというほどのものはなかったので、残念なようなホッとしたような次第。
あるブースをのぞいていると、若い女性のアーティストが話しかけてきた。
「ムッシュー、第×大学でお会いしませんでした?」
「あ、いや、人違いです」
「あら、ごめんなさい」
みたいな会話だったが、その気になれば作家と親しくなれる。ブースが狭いので親密な感じにはなる。エッチングなどで作った名刺を置いてある作家がけっこういた。無料なので何種類かもらってきた。日本人女性が出品しているテントがあった。


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「版画の日」が終わると、今度は古道具市が十三日間開催された。それがちょうど暑い盛りで、どうにもこうにも溶けてしまいそうなほど。古書を置いている店も少なくなかったのでできればじっくり吟味してみたかったのだが……。とにかく古道具類は予想以上に高価である。壊れそうなものは危なくて買えないし(薬壜が欲しかったのだが)、もっと予算があればなあ…とため息がもれた。

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# by sumus2013 | 2017-07-13 19:00 | 巴里アンフェール | Comments(0)

もよおしいろいろ

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タダジュン Dear, THUMB BOOK PRESS

 京都原画展
2017年7月14日〜7月31日
恵文社一乗寺店
http://www.keibunsha-store.com

東京原画展
2017年7月25日〜8月13日
本とコーヒー tegamisha
http://tegamisha.com/shop





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『ジュルレアリスムと抒情による蜂起』
新刊出版記念トークイベント

ダダ・シュルレアリスムとアナーキズム
アニー・ル・ブラン来日講演を読み解く
塚原史 & 松本完治
2017年7月15日

詩人アンドレ・ブルトン
前之園望 & 松本完治
2017年8月予定

LIBRAIRIE6
http://www.librairie6.com

エディション・イレーヌ
http://www.editions-irene.com



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『百窓の半分 ジョセフ・コーネルへのオマージュ』展

2017年7月15日〜7月23日

ギャラリーAO
https://www.yelp.co.jp/biz/ギャラリーao-神戸市




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M!DOR!
collage exhibition
「Photographie d'instants gelés」

2017年7月20日〜7月27日

FESTINA LENTE
http://zakka.30min.jp/place/2460340




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野坂昭如戦争童話詩集原画展

2017年7月16日〜9月10日

黒田征太郎 KAKIBA 描場
http://big-step.co.jp/shop/detail/61/






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太田徹也のデザイン
「書籍前夜」展

2017年7月13日〜7月27日

Gallery 5610
http://www.deska.jp




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追悼!「長友啓典」特別展

2017年7月28日・29日

ギンザ・グラフィック・ギャラリー
http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/




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梶井基次郎檸檬装丁展

2017年8月4日〜9日

OPA gallery
http://www.opagallery.sakura.ne.jp






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# by sumus2013 | 2017-07-13 15:26 | もよおしいろいろ | Comments(10)

北野恒富展

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2017年8月5日〜9月18日

島根県立石見美術館
http://www.grandtoit.jp/museum/



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2017年6月6日〜7月17日
あべのハルカス美術館


あべのハルカスの大阪芸術大学スカイキャンパスで開催された「大正イマジュリィ学会40回ジンポジウム 大正イマジュリィをもとめてII 北野恒富とその芸術ーー本画、ポスター、挿絵、そして大阪」(七月九日)を聴講した。なかなか興味深い発表ばかりで参考になった。とくに岩絵具についての荒井経氏のお話は絵具や描画法からの図像分析で非常に面白く感じた。

むろん北野恒富の作品展示もじっくり見てきた。やはり腕の立つ絵描きである(滋賀県美外で十数年前に回顧展があったが、大阪での大回顧展は初めて)。単なる美人画家、いや単なる絵師というよりも東西の美術事情・デザイン潮流に敏感な綜合的美術家と見るべき逸材である。ライバルだった鏑木清方よりもよほど幅広いレパートリーを持つ。たぶんあまりに器用なのでかえって歿後の評価が上がらなかったのかもしれない。しかし今後は大阪画壇だけでなく日本近代美術史を語る上では決して欠かせない画家・デザイナーの一人として認識されるはずである。必見の展覧会であろう。

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# by sumus2013 | 2017-07-12 16:24 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

大吉にて

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七月十一日、水雀忌。寺町通り二条下がるの「大吉」にて。この写真は二〇〇二年一〇月一六日に撮られたもの。このとき小生は夷川通りの湯川書房で個展中だった(一〇月一四日〜一九日)。大吉のご主人杉本氏とその息子さんがこの日会場に来てくださったから、午後五時前に閉店にして、湯川さんと、池坊美術館で表具の展覧会を見て来られた戸田勝久さんと三人でおじゃましたのだった。杉本氏撮影と思う。息子さんの淹れてくれた珈琲が美味だった。

吉岡実『神秘的な時代の詩』(湯川書房、一九七四年)


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# by sumus2013 | 2017-07-11 15:48 | 古書日録 | Comments(3)

触媒のうた

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今村欣史『触媒のうた 宮崎修二朗翁の文学史秘話』(神戸新聞総合出版センター、二〇一七年五月二六日)。面白く読了。出版の経緯などについては著者のブログをご参照いただきたい。

『触媒のうた』と宮崎修二朗翁

宮崎修二朗翁といえば、小生にとっては『神戸文学史夜話』(天秤発行所、一九六四年)の著者として親しい。今架蔵しているのは某氏から頂戴したものだが、二度の転居や数え切れない蔵書処分をくぐりぬけて現在も書棚の一角に収まっている。名著である。

宮崎修二朗『神戸文学史夜話』

その博覧強記の宮崎翁よりさまざまな文学者にまつわる逸話を今村氏は引き出し、さらにその内容を文献および実地調査によって検証した上でまとめられたのが本書ということになる。読者に近い目線から、そのテーマの扱い方も語り口も丁寧で柔らかく、文学そのものにそう深く関心がなくてもつい引き込まれてしまう。

逸話というのは、人があまり語らない事柄で、どちらかといえばマイナス面を示すことが多いわけだが、やはり面白いのは成功よりも失敗(成功者の失敗?)、表より裏だろう。ジャーナリストとして宮崎翁は多くの有名無名の人々の表面も裏面も見てきた、その全部はもちろん語り切れないだろうし、現実問題として語れないことも多かろうが、それでも本書では数々の逸話が披露されている。

例えば竹中郁が原稿料がなかったことに怒った話。宮崎翁は語る。

みんなの前で、『なんでもタダであってはいけない』とおっしゃったんですね。これは当然なんです。けど僕、若かったから、それを人づてに聞いてカーッ! と来てね、もうあいつに会っても二度ともの言わんと心に決め、それから十何年お会いしても知らん顔してました。》(原稿料 I)

竹中らしくない、ような気もするが、これは竹中のプロ意識ということと繋がっているのだろう(本書でもそこはフォローされている)。宮崎翁、けっこうカーッとくるタイプである。

「ぼくは、長崎県の平戸というところのいわゆる三流校の中学校を卒業しました。勉強とはどんなことか誰も教えてくれない野放しで、特に数学はチンプンカンプン。のっけから定理や公理を覚えさせられて、なんでそうなんだ? と聞いても教えてくれない。しつこく聞くもんだからしまいに先生が怒ってしまってね。その教師までも嫌いになってしまい、五年間、テストの時には名前だけ書いて外へ出てました」》(土屋文明の歌)

これは非常に重要な回想である。定理や公理はマル覚えするから利用価値があると思うのだが、それを根問いのように「なんでそうなんだ?」と掘り下げる、納得しないと前に進めない。小生の知人で、茶の作法を習ったとき、所作の一々について「どうしてそうしなければならないのか?」と師匠に問い続けた人がいる。師匠も困ったろうね。何においてもその根源を突き詰めることは深く知るためには必須である。必須ではあっても、それでは仕事が進まないし、ある意味生き難くもあろう。しかしながら何かを成し遂げる人はみなそういう頑固さを持っているに違いない。とにかく、五年間テストをボイコットするなんて誰にでもできることではない。

目下たまたまラジオで柳田國男『故郷七十年』の朗読が放送されている。その名著『故郷七十年』の口述筆記をしたのが宮崎翁だと書かれていて、これにも驚かされた。ところが、それはなかなか難儀な仕事だったらしい。口述筆記の最中に宮崎翁(もちろん若き日の)が言葉を差し挟むと柳田は不快感を露にした。

口述の途中でそのことに触れると露骨に不愉快な顔をされましてね、そっぽを向かれてしまいました。そのようなことが何度もあったんです。ご自分のプライドが少しでも傷つくようなことには敏感に反応して拒否なさいました。まあぼくも当時は生意気でしたし、未熟なそれが顔に出ていたとも思いますがね。》(柳田國男 II)

それだけではない、柳田が触れられたくなかった松岡家の暗部を知ってしまい、決定的に嫌われることになったのだという。暗部がいったい何なのかは本書をご覧あれ。なお柳田の殿様ぶりは佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋)を読むとよく分る。

暗部と言えば、井伏鱒二の『厄除け詩集』がパクリだったという事実を最初に見つけたのが宮崎翁だったそうだ(!) あの「サヨナラ」ダケガ人生ダ……である。

「昭和60年ごろのことでした。講演で佐用町に行った時にね、ある人から『こんなものがうちにあるのですが』と見せられたのが『臼挽歌』(潜魚庵)という本でした。これを見て驚きました。井伏の『厄除け詩集』とそっくりそのまま拝借の訳詩が並んでいたんですよ」》(厄よけ詩集

宮崎翁は井伏が歿するまで待って、そのコピーを大岡信に送り、寺横武夫(井伏研究家)に送った。これによって厄除け詩集』にタネ本があることが周知の事実となった。なるほどねえ。ただし、漢詩をこのように平易に読み直すことはそう珍しいことでもないように思うし、井伏は『田園記』のなかで種本が存在することを明確に述べているので(むろん本書でも引用されている)これは暗部というほどでもないか。

そういう暗闇を照らす意味でもっとも興味深く読んだのは北山冬一郎のくだりである。『書影でたどる関西の出版100』では熊田司氏がこの詩人を取り上げておられるから、小生もその書影と名前には記憶があった。戦後すぐに詩集『祝婚歌』を出して注目され、そのなかの「ひぐらし」「紫陽花」などに團伊玖磨が曲を付けたことにより、それらは今も歌い継がれているという。ただ作者本人は『小説太宰治』(この本、古茂田守介の装幀とか! 古書価はかなりのもの)の問題などで姿を消し、周辺の人達に迷惑をかけ、いつか忘れ去られてしまった。今もって生死すらハッキリしないらしい。神戸で亡くなったとも。北山冬一郎情報だけでも本書は値打ちものである。

やはり、彼のホントの最後は誰も知らないのだ。
 わたしもこれ以上、彼の戸籍調査はしたくない。幻のままでいいのではないかと思う。
 北山冬一郎は今もどこかの街をかわいいウソをつきながら放浪しているにちがいない。

  日暮れ
  ひぐらし
  ひぐれに哭く
  ひとひ空しく
  むなしく暮れて
  夕焼
  わが掌を
  かなしく染めぬ
  日暮れ
  ひぐらし
  ひぐれに聞く
         (ひぐらし)  》(北山冬一郎 V)

その他、足立巻一、富田砕花についてもかなり詳しく叙述されているし、桑島玄二も登場する。彼らの等身大の姿を彷彿とさせる逸話が貴重この上ないものとなっている。


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# by sumus2013 | 2017-07-11 15:47 | おすすめ本棚 | Comments(4)