林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
個人的に思うのですが、第..
by sumus2013 at 16:32
「わずか数ポイント差の得..
by 牛津 at 15:55
ご来場有り難うございまし..
by sumus2013 at 21:55
久し振りにお会いできて嬉..
by 淀野隆 at 21:24
この聞き取りを残せてよか..
by sumus2013 at 08:10
いやあ、驚きました。肥後..
by 岡崎武志 at 22:53
無料ではなく、せめて五十..
by sumus2013 at 21:51
そうそう、思い出しました..
by 牛津 at 21:26
まったくその通りですね。..
by sumus2013 at 09:04
このような本が無料という..
by 牛津 at 21:13
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


編集者の生きた空間

f0307792_19285974.jpg


高橋輝次『編集者の生きた空間ーー東京・神戸の文学史探検』(論創社、二〇一七年五月二五日)が届いた。高橋さんの衰えない探求欲には脱帽するほかない。その熱意がきっと版元を動かすのだろう。編集者や小出版社を軸としたひときわ渋い内容であるにもかかわらず、近年も着々と刊行を重ねておられる。昨今の出版状勢から見て、これは容易な仕業ではなかろう。

『誤植文学アンソロジー 校正者のいる風景』(論創社、二〇一五年)

『書斎の宇宙 文学者の愛した机と文具たち』(ちくま文庫、二〇一三年)

『ぼくの創元社覚え書』(龜鳴屋、二〇一三年)

『増補版 誤植読本』(ちくま文庫、二〇一三年)

『ぼくの古本探検記』(大散歩通信社、二〇一一年)

毎度ながら、本書も、芋づる式にざまざまな古書をたぐりよせる手際に驚きながら読み進める愉しみを味わえる。研究発表だとか論文だとか、そういった贅肉を削ぎ落した文体とはほど遠い、行き当たりばったりの、ボヤキ連続の、しかし気付いてみると何かガッチリと対象をつかんでしまっている、というような文章にあきれながら感心させられてしまうのだ。

メモ代わりにざっと目次から人名や固有名詞を拾っておく。

第一部 編集部の豊饒なる空間
砂子屋書房/第三次「三田文学」:山川方夫/河出書房:氏野博光/河出書房:小石原昭と瀬沼茂樹

第二部 編集者の喜怒哀楽
彌生書房:津曲篤子/偕成社:相原法則/創元社:東秀三/著者の怒りにふれる編集者の困惑/中央公論社:和田恒と杉本秀太郎/中央公論社:宮脇俊三

第三部 神戸文芸史探索
エディション・カイエ:阪本周三/「航海表」:藤本義一、竹中郁、海尻巌/「少年」:林喜芳、青山順三、佃留雄/犬飼武、木村栄次、中村為治/中村為治、照山顕人/大橋毅彦「一九二〇年代の関西学院文学的環境の眺望」/林五和夫、妹尾河童、青木重雄、及川英雄

第四部 知られざる古本との出逢い
橋本実俊『街頭の春』/鴨居羊子、田能千世子、港野喜代子/小寺正三、加藤とみ子/布施徳馬『書物のある片隅』

なかではエディション・カイエの阪本周三を求めて旅をする(もちろん本をめぐる旅)話は読み応え充分。小生のよく知っている人や雑誌が何人も登場していて、そういう意味では、自分自身が生きてきた時間がすでに歴史になりつつあるのだなあと感じさせられてしまう(年を食ったということです)。小生自身は阪本周三さんを存じ上げないしエディション・カイエの本もほとんど持っていないが、かつてかろうじて二度ほどブログに取り上げている。

『ペルレス』第一号(エディション・カイエ、一九八七年一〇月一日)

黒瀬勝巳遺稿詩集『白の記憶』(エディション・カイエ、一九八六年)

高橋氏の描写から少し引用する。

一九九八年、氏[阪本周三]は三度目の上京をし、阿佐ケ谷でバー〈ワイルド・サイド〉を開店。店名はルー・リードの曲から取られたという。その店は、佐藤一成氏が阪本氏の詩から借りた一節によれば、氏が名づけた「東京ブルックリン(阿佐ケ谷)」の駅近く、「木造モルタル二階建て十三階段をのぼったつきあたり」にあった。

大西隆志氏が二〇〇〇年十一月に上京して最後に店を訪ねたとき、阪本氏は詩集を出そうと思っている、と語ったという。それ以前にも、詩の同人誌をまた出そうと二人でよく話していたそうだ。とすれば、二冊目に構想中の詩集が未刊に終ったわけで、残念でならない。
 二〇〇一年一月二十日、阿佐谷のアパートで脳内出血で死去する。四十八歳、あまりにも早い突然の死であった。
 大西氏は阪本氏の風貌について、アンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」に出てくるマチェックのように「優しさと激しさを内に秘めていたからか、阪本クンはサングラスが似合っていた。見た目とは違った表情をサングラスと微笑で隠していたのかもしれない。

あるいは、例によって長文の註記にはこうもある。

阪本周三氏についてまとめた原稿のことを一寸もらしたところ、思いがけなく伊原氏も昔、阪本氏とつきあいがあり、尊敬していた編集者だったと懐かしい口調で聞かされ、驚いた。神戸時代、阪本氏は京都の同朋舎の仕事も請負っていて、忙しいとき、伊原氏も手伝っていたという。東京のバーにも訪れたことがあるそうだ。電話なのでそれ以上の詳しい話は伺えず残念だったが、編集者同士のつながりの妙をここでも感じたものである。

伊原氏はもちろん小生の作品集(画文集)を出してくれた編集者。また同朋舎は一時期しゃにむに出版を行っていた時期がある。小生でさえも、いつだったか、東京からやって来たある編集者に連れられて編集会議のようなものに加えられたことがあった。ただその企画は通らなかったのか、どうだったのか、小生が参加したのは一度きりだった。まさに同じ時間と空間を生きていた感を強くする。


f0307792_20340336.jpg

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-25 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(0)

東中野

f0307792_20052498.jpg

『机』第九巻第二号(紀伊國屋書店、一九五八年二月一日、表紙題字=伊藤憲治、表紙デザイン並カット=北園克衛)。編集人も北園克衛である。

少し前に以下のような問い合わせを頂戴していた。

《『喫茶店の時代』 183頁、「女たちの東中野」の見出しで、――

  震災後の中央線開発はまず新宿周辺から始まり、その延長として東中野にはいち早く喫茶店が誕生した。東口に 「ミモザ」「ユーカリ」(「ゆうかり」とも)。中央口に「暫」、線路の右手裏には「夜」があった。

と記述しておられます。これにつき、3件、ご示教をお願い申し上げます。

① 「夜」という店が存在したことは何を典拠とされたものでしょうか。「夜」に言及した文献を探しております。

② 「線路の右手裏」はどちらの方向に向かってのことでしょうか。現在の東京駅(東)、高尾駅(西)方面の、いずれでしょうか。

③ 「中央口」とはどこを指しているのでしょうか。東中野の「中央口」という呼称は珍しいもので、管見では、往時の資料に未確認です。現在の東口、西口の位置関係で具体的に知りたく思います。》

この質問メールをいただいたとき手許に喫茶資料を置いていなかった。なにしろ喫茶店を調べていたのは十五年以上前のことなので、多くの関連書籍は処分し、めぼしい資料も郷里の押入に片付けてしまっていた。つい先日の帰郷で、この質問については失念していたにもかかわらず、たまたま整理中にこの『机』を見つけたのはラッキーだった。

①は上記『机』第九巻第二号「特集喫茶店」の巻頭、井上誠「喫茶店の変遷」である(第二〜五頁)。該当する記述は第四頁に出ている。

②と③については原文をそのまま引用する。『喫茶店の時代』では要約しつつ言い換えてある。関東大震災後から昭和に移る時期。

中央線の入口になる東中野には逸早く喫茶店が出来ていた。駅の東口にはミモザとユーカリ。中央には暫[しばらく]。また線路の右手の裏には夜があった。まだ見すぼらしい林芙美子が、同じような連れと一緒にその夜に来ていたが、間もなくつぶれた。ユーカリのヨッペは東京不良少女の名流で、そこには銀座の老雄雨雀や、北原白秋や大木惇夫が来ていた。また直ぐ卓をひっくり返すので怕がられた畑山という中央線の顔や、ピストン堀口などもいた。

「中央口」と書いたのは誤りで「中央」としてあるだけだった。訂正しておく。「線路の右手」はどちらなのか? これは井上の記述だけでは判断しかねる。内容が面白いのでもう少し引用しておこう。

小滝橋に少し入るとグローリーには戦旗の上野壮夫達、ナップがいた。第百銀行の頭取の養子の野々村恒夫と壮夫とは、友達でそのこ幸ちゃんを張り合っていたが、飲むといよいよ上機嫌になったり泣き出したりする幸ちゃんは、上手に二人を手玉に取っていた。
 やがて東中野にはざくろやノンシャランが出来た。詩王の余波に乗じた詩洋の同人達が次々に開いた店で、ざくろには阿佐谷から井伏鱒二や久野豊彦が来るかと思うと、辻潤の一派がいたりした。まだ東大の学生であった中村地平は酔うと冬でも裸になって防腐剤を塗った屋内の柱を攀じ登り、忍術使のように逆様になって天井の梁を伝わったりした。ルネには小林秀雄の別れた妻君がよく来ていたた[ママ]。「たかりや姫」と言われていたが、誰でも悦んで飲ませた。哀れな者を慰わる気持を、誰しも持っていたのであった。

小林秀雄の別れた妻君」というのは長谷川泰子のことか。結婚はしていなかったはずだ。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-24 20:56 | 喫茶店の時代 | Comments(0)

曖昧な物言い

f0307792_20344608.jpg

ジャン・ポーラン(Jean Paulhan)『les incertitudes du langage』(idée nrf, 1970)を読んでいるのだが(本書には邦訳がないようなので仮に「曖昧な物言い」としておいた。直訳調なら「言語の不確実さ」)、そのなかに現今のきな臭い情況を皮肉るのにぴったりの発言があった。引用しないではいられない。下手な訳文はお許しを。このインタヴューは一九五二年にラジオ・フランセーズで放送された。

聞き手のロベール・マレ(Robert Mallet)が「第三次世界大戦についてどう思われますか?」と尋ねると、ポーランは次のように答えている。彼は基本的に戦争はそれまでの二度のように(第一次と第二次大戦を指す)不条理には勃発しないと考えている。

《ここ何年か、皆が皆、そんなことを言っていますね。でも私はそうは思いません。理由はこうです。
 子供の頃、近所のふたりの男が路上で話しているのを見かけました。一人はもう一人に向って言いました。
「おまえさんは、あれやこれやをやっただろう。下司野郎(mufle)だな」
もう一人は答えました。
「下劣(salaud)なのはおまえさんだよ」
私は思いました、二人はすぐにも決闘するんじゃないかと。それをどうやって見物しようかと馬鹿みたいなことを考えたんです。八日後、二人はまた出会いました。
「おやおや、この哀れな野郎(ce triste personnage)が」
と一人は言いました。
「なんじゃ、アホ(petit imbécile)が」
ともう一人は言いました。さらに十五日後。またもや二人は罵り合いました。
「ばあ〜か(Idiot)!」
「鼻持ちならん奴め!(Paltoquet)」
その頃には鼻持ちならん奴(paltoquet)などと言っていたんですな。一週間が経つと、また同じことが起こりました。私は、あっけにとられたんです。そしてやっと分りました。あの人たちは絶対に殴り合いの喧嘩はしないなと。どうしてなら、毎日のように喧嘩してるからです。それでまったく満足なんですよ。
 ある大使が不注意にも別のある大使の足を踏みつけたという理由で宣戦布告する、今はもう、そういう時代じゃないでしょう。》

非常識で理屈に合わない命令(ordre d'absurdités et de mauvais raisonnements)によって戦争は起きないだろう……そうジャン・ポーランは語っているわけだが、さてそれから六十年以上が経って、必ずしもそうとは言えないような事態が迫っている。何しろ salaud、idiot、paltoquet たちを誰もがその頭にいただいている時代なんだから(人ごとじゃない)。

今宵はとにかくポーランのような常識を多くのフランス人がまだ持ち合わせていることを祈りたい。


[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-23 21:43 | 古書日録 | Comments(2)

地獄の季節 コラージュ展

27日(木)までです!
まだ間に合います。ご高覧ください。

f0307792_09220371.jpg
f0307792_09220640.jpg
*会期中のお休みは
9日(日)、15日(土)〜18日(火)連休、23日(日)です


f0307792_20105137.jpg


f0307792_20105510.jpg


f0307792_20105856.jpg


f0307792_20110265.jpg


f0307792_20110597.jpg


f0307792_20110768.jpg


f0307792_20111044.jpg

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-23 09:38 | 画家=林哲夫 | Comments(6)

岡崎武志 還暦記念トーク&ライブ

f0307792_15410582.jpg
f0307792_09004919.jpg
「岡崎武志と60年」冊子(りいぶる・とふん)
来場者に配布します!
(一箱古本市もありますよ)


f0307792_16302030.jpg


岡崎武志還暦記念トーク&ライブ「風来坊 ふたたび」

いいじゃないか
笑うなよ 木よ風よ石よ
そして友よ

日時:5月3日(水・祝)
15:00開場 16:00開演(18:00終演)

場所:徳正寺
〒600-8051京都府京都市下京区富小路通り四条下る徳正寺町39

出演:岡崎武志(60) 山本善行(60) 林哲夫(61) 扉野良人(45) 荻原魚雷(48)
特別ゲスト:世田谷ピンポンズ

入場料:2,000円(おみやげ付き)
定員:70名(予約の方優先)

ご予約はメリーゴーランド京都まで


*会場では同人の新刊・旧刊著書もとりそろえます。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-23 09:05 | もよおしいろいろ | Comments(0)

林哲夫、装釘家花森安治を語る

f0307792_08153663.jpg

林哲夫、装釘家花森安治を語る
『花森安治装釘集成』刊行記念スペシャルトークイベント

2017年5月5日(金)19時〜
会場:誠光社
定員:30名さま
参加費:1500円+1ドリンクオーダー

ご予約 誠光社

京都でも花森について語る場を提供していただきました。
花森装釘本(古書)などの販売も予定されているようですので
ぜひお運びください。


[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-23 09:00 | もよおしいろいろ | Comments(2)

ぽかんのつどい冊子

f0307792_19562400.jpg

「ぽかんのつどい」のために作られた冊子。200円(恵文社一乗寺店などで入手できると思います)。中野もえぎ、服部滋、林哲夫、外村彰、福田和美、佐久間文子、佐藤靖、佐藤和美、澤村潤一郎、井上有紀、岩阪恵子、内堀弘、涸沢純平、能邨陽子、出海博史、山田稔、秋葉直哉、郷田貴子、扉野良人、真治彩……それぞれがぽかんの読者にすすめる五冊を選び短いコメントを添えている。「ぽかんの読者にすすめる」というところがポイントである。各人が気配りをし(しないで)書いているのが面白い。知らない本がたくさんあって楽しいな。

f0307792_19563681.jpg

ちょっと讃岐へ戻っていた。書棚を整理していたらこんな雑誌が出てきた。『海燕』第九巻第四号(福武書店、一九九〇年四月一日、表紙画=国吉康雄、表紙|目次|本文構成|=菊地信義)。特集が「文芸雑誌と私」。そこで山田稔さんがこう書いておられる。「「ちとせ」の一夜」。太字のところ、原文は傍点。

《京都の四条畷を下った西側に「ちとせ」という酒場があった。今から三十年ほど前の雨の日の夕方、私は河出書房の坂本一亀氏に会いにその店に足を運んだ。坂本氏の「日記」(「『文藝』復刊まで」)によるとそれは一九六一年六月二十七日のことである。坂本氏は「文藝」復刊に備えて新しい書き手を発掘すべく、京阪地方にのりこんで来たのであった。
 「ちとせ」には私のほかに多田道太郎、高橋和巳、杉本秀太郎、沢田閏の四名が集った。当時の「VIKING」の同人または会員のうちの大学教師組である。》

《その夜どんな話が出たかこまかいことは忘れたが、ひとつ憶えているのは、伝統ある「文藝」復刊の意気ごみに燃えて「小説をかいてください!」とかきくどく坂本氏の話はそっちのけにして、私たちが冗談ばかりとばして大いにいちびったことである。こいつら何だ、と彼は憤慨したにちがいない。いや、大いに楽しんだのか。そのことは「日記」には触れていない。このいちびりのなかで高橋和巳だけはまじめに話を聞いていたらしく、坂本氏の目にとまった。彼をこれを機に『悲の器』を完成し「文藝賞」を受賞する。》

《声を大に「小説を、文学を」と熱っぽく叫ばれても、照れくさいというか、アホラシ、という気分になってしまうのだった。いまでもこうした京都の「冷却的」雰囲気は大して変っていないと思う。》

山田さんはほぼこれと同じことを「ぽかんのかい」でも喋ってくださった。高橋和巳の受賞祝賀会に集った教授連中が祝辞で揃いも揃って「小説なんぞ書いていないで研究に身を入れろ」とぶったというのも学都ならではの興味深い逸話であった。山田さんはこれを自身が周囲に与える「冷たさ」についての説明として語られたわけだが、その当否はおくとして、しかしさすが坂本編集長だ、この人選は当を得ている(たしか杉本秀太郎にも高橋和巳の追悼としてこのときのことを書いた文章があったように思う)。

なお「ちとせ」は生田耕作氏の生家で氏の父上が富山から出てきて修業した後、昭和十二年に開店、その後を次いだのが生田誠氏の父上(耕作氏の弟さん)である。少なくとも小生が知っている感じでは居酒屋というのとは少し違う。ただ料理屋というほど敷居が高いわけではなく、その中間くらいの店だった。

現在は誠氏の弟さん(三代目)が経営されており、店舗は小川通り丸太町下ルに移転している。こちらはまさに居酒屋と呼ぶにふさわしい庶民的な店作りだ。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-22 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

金福寺

都合により一週間ほどブログを休みます。

f0307792_21001677.jpg

「ぽかんのつどい」のため一乗寺へ出かけたので、せっかくだからと金福寺を訪れた。初めて。小雨の後で潤った苔の緑が目にしみる。上は蕪村が呼びかけて再興した芭蕉庵。

f0307792_21043152.jpg

芭蕉庵の脇を山手へ少し登ると与謝蕪村の墓所がある。周辺には江森月居、松村呉春、松村景文、吉分大魯、森川曾文、青木月斗らの墓も築かれている。

f0307792_21041045.jpg

f0307792_21133339.jpg

芭蕉庵から本堂と庭を見下ろす。本堂にも蕪村や村山たか女の関連遺品が展示されている。梁川星巌の漢詩屏風が気に入った。

f0307792_21133666.jpg
白川通りの一乗寺下り松町バス停からまっすぐ山側へ上がって行く道、正面の桜は本願寺北山別院の門前。その手前を右に折れるとすぐ金福寺になる。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-15 21:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ぽかんのつどい

f0307792_20403482.jpg


「ぽかんのつどい」楽しい時間だった。会場は四十から五十人ほどの入りでほぼ満席。山田稔さんの記憶明瞭な語り口が会場を驚かせ、忌憚のない率直な意見が笑いを誘うことしばしば。お人柄と言うしかない。能邨さんのテキパキとした司会進行が冴えていた。一時間二十分ほど。録音されていたようなので、詳しい内容はおそらく文字化されると思う(断定はしませんが)。深沢七郎からどら焼きを二十個おみやげにもらった話はウケた。久し振りにお会いする方も多かったので出かけて良かった。上はトークショー終了後の記念撮影が終わったところをパチリ。手前の横顔が編集工房ノア社主である。所用あって二次会を失礼したのが心残りである。


f0307792_19591785.jpg
f0307792_19591434.jpg


f0307792_19592280.jpg
f0307792_19591702.jpg


ぽかんのつどい
2017年4月15日 11時〜17時

『ぽかん』最新6号の刊行を記念したイベントを行います。
◇トークショー「公開「ぽかん」おしゃべり会」
 山田稔
 真治彩・扉野良人・能邨陽子(恵文社)

恵文社一乗寺店/COTTAGE

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-15 08:23 | もよおしいろいろ | Comments(0)

昭和十二年の大阪市政

f0307792_19290511.jpg

『昭和十二年の大阪市政』(大阪市役所、一九三七年五月五日)。残念ながら架蔵書ではないが、なかなかに興味深い内容である。総説の「1 大阪市政の特色」から一部を引用してみる。太字はママ。

《近年各地の市政界にとかくはしたなき[五字傍点]紛争が絶えず、中には忌はしき不祥事さへ取沙汰されつつあるに反して、大阪市のみはかゝる悪声を耳にしないのみか、着々健全なる発達を続けてゐる。》

《池上市長が在職十年、関市長が助役を通じて在職二十一年、市政の上に大なる功績を残したのは、わが国自治政治発展史上、特筆に価するものであるが、こゝにも穏健和平の大阪市政の面目が窺はれるのである。》

《明治三十年の大阪港築造、三十六年の電車市営主義の確立、大正十年以来の尨大なる都市計画事業の達成、十二年の電燈買収、十四年の市域大拡張、昭和二年の学区廃止、四年の地下鉄の経営、九年の風水害の自力復興などの大事業が着々と功を奏し、今日の大をなすに至つたのは、大阪市民の企業的精神と奉仕的努力の賜でなくして何であろう。》

「2 本邦経済の中心として」からも少し引いておく。

《即ち昭和十年に於ける本市の港湾貿易は、輸出入年額十一億六千六百万円、噸量六百五十二万噸に上り、噸量に於て三百七万噸の入超となつてゐるが、価額に於ては実に七千三百四十万円の出超を示してゐる。これは大阪港の躍進振とともに全国にその類例を見ないところである。輸出において注目すべきは綿織物で二億五千八百万円の巨額に上り、輸出総額の四二%を占め、これに綿糸、毛織物、人絹、人絹織物を加算すれば、優に三億四千八百万円となり、大阪港輸出総額の五六%を占め、大阪港の輸出は全く繊維工業製品が中心であることが判る。その他、巨額を占めるものは、鉄製品、機械、自転車などの工業製品及び紙類、ガラス製品、缶詰などの各種雑貨であつて、いづれも本市工業力の生み出したものである。》

大阪市の人口は三百万、大阪府の七割を占める。昭和十二年度の純歳出は二億一千四百万円、府の財政の六倍に当るという。

《しかるに現在の制度は市が府の中にあるため、勢ひ府市の間に仕事の競争が起り、産業、保健、教育、社会事業などに不統制な二重行政が行はれ、甚だ不経済である。そのために市民は市税、府税を二重に負担させられ、しかもこの市民の納める府税のうちから郡部の施設に流れるものが、昭和十年度に於て、三百七十万円、すなわち一戸当りにして五円余りが市民の懐から郡部に流れ出る勘定であり、その結果府の財政は余裕ができても、市の財政はます〜〜困る一方である。》

どうしても特別市制を布き、市内のことは大阪市だけで切り盛りしなければならない。》

戦前から二重行政の問題はくすぶっていたわけだ。

以下、小生が気になる図版だけピックアップしてみる。かなり尖端的なモダン都市だったことが分るように思う。

f0307792_19290804.jpg
淀屋橋から御堂筋付近


f0307792_19291015.jpg
新築中の屠場と取引中の家畜市場


f0307792_19291381.jpg
都島の水上生活者


f0307792_19292032.jpg
水上生活の学童


f0307792_19292330.jpg
塵芥焼却場


f0307792_19292878.jpg
車両工場と流線型電車(市電)


f0307792_19293051.jpg
明朗な地下鉄


f0307792_19293368.jpg
電気科学館


f0307792_19293710.jpg
プラネタリウム


《本市は早くから家庭電化を目指して電気知識の普及に努めて来たが、一層これを拡大強化するため約二百万円を投じ、規模の大なる点に於て本邦に未だその例を見ない電気科学館を、四ツ橋に建設し、三月には市民待望裡に開館せられた。》

《一階は電気機械器具を陳列販売し、二階は弱電、無電の応用方面を、三階は電力、電熱の応用方面を、四階は照明に関する方面を展示し、五階は電気に関する原理方面を瞭然たらしめ、六、七、八階はこれをブッ通して、東洋唯一のプラネタリウム(天象儀)を据付け、その電気科学の粋を蒐めた装置を以て、天体運行の状況を如実に観察せしめる。また九階以上は防空塔として、非常時に際しては空襲監視をなし、全市十二ヶ所の防空サイレンは、こゝのボタン一つで統轄する。なほこの防空使命のほか、測候所とタイアップして天災非常時の予報をも行ふ計画である。》

赤字は筆者による。こういう機能も持たされていた。現在の大阪市立科学館のサイトではさすがに触れられていない(目下の状勢では再びそういう機能が必要かも!)。

大阪市立科学館
http://www.sci-museum.jp/about/history/denki_kagakukan/

手塚治虫や織田作之助がこの館のファンだったことはよく知られている。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-04-14 20:37 | 関西の出版社 | Comments(0)