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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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コンクリートピン

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今井雅洋さんより建築用のコンクリートピンが送られてきた。以前このブログで画鋲と磁石を使った紙モノの展示法を紹介したのだが、その発展形としてコンクリートピンを使うというアイデアをお教えいただいたのである。



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《接触面は小さいですが、厚さ(高さ)があるので磁束密度が高くなり、小さなマグネットで、厚みのある作品を留めることができます。ただし打ち込み部分が太く(プッシュピンくらいならば理想的ですが)、ギャラリーの壁に直接打ち込むわけにもいかず、コドバシで購入した安い写真用パネルに、つき差して展示しました。》

とのことで、展示の現場写真も同封してくださった。左から、正面から見た図、側面から見た図、そしてピン部分のクロースアップ。これはいい! 腰のしっかりした作品ならそのまま展示できるし、薄い紙でも台紙を使えばなんとかなるだろう。安いというパネルもかえってオシャレ。金属ネジクギでもできそうだが、このピンにはデザイン性もある。紙の作品はスマートでコストのかからない展示が難しい(額装はどうしてもコストと手間がかかる、展示後の収納も問題)。これは福音となるかもしれない。今井氏は「マグネフロートパネル」と名づけたそうで、下記展示では改良型を発表の予定だとか。丸Cですね。


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今井雅洋
2016年9月12日〜10月16日

クラインブルー

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# by sumus2013 | 2016-08-29 20:13 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)

ビュウィック画派の書斎

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ビュウィックの木版画カット集に挟み込まれていたチラシ。アメリカのイラストレーターズ協会が毎年作っている短篇映画の案内である。おおざっぱな訳で申し訳ないが、こんな内容。

《毎年、ニューヨーク・シティではイラストレーターズ協会が全米で前年度に製作された優れたコマーシャル・アートを上映している。五千のエントリーがあり、審査員が展覧会のためにおよそ五百作品を選ぶ。おおまかに四つのカテゴリーに分かれている……美術作品、書籍・雑誌・印刷物のデザイン、テレビ広告、公共広告。
  イラストレーターズ17フィルムは優秀作品についての十六ミリのカラーで撮影されたクリエティヴかつユニークな紹介である。

《年鑑『イラストレーターズ17』とともにこの十五分のフィルム作品を鑑賞することは、あなたのアメリカ同時代アートに対する理解を助け、熱い息づかいを感じ、その視野を広げてくれるでしょう。》

Society of Illustrators


以下はビュウィックの木版画カット集より書物に関するシーンを選んでみた(というか、これらは一頁にまとめて掲載されている)。左右の幅を同じにして並べている。

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上から二番目のカットは本の壁を取り外している珍しい図柄。あるいは珍しくはなかったのかもしれない。

模造文庫(ビブリオテーク・ファクチス)

「007ドクター・ノオ」の仮想文庫

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# by sumus2013 | 2016-08-28 20:30 | 古書日録 | Trackback | Comments(0)

トマス・ビュウィック画派

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小学読本の挿絵がどこから来ているのか。その謎を解くカギのひとつがこの木版画カット集『1800 WOODCUTS BY THOMAS BEWICK AND HIS SCHOOL』(Dover Publications, 1962)。

トマス・ビュウィックは一七五三年八月、ノーサンバーランド(Northumberland)のエリトリンガムに近いチェリバーン・ハウスに生まれた。父親は農場と小さな鉱山を所有していた。八人兄弟の長男。美術とは縁遠い少年時代だったが、絵を描くことには早くから才能を示したという。十四歳でニューキャッスルの銅版画師ラルフ・ビールビィ(Ralph Beilby)の元へ弟子入りした。 師匠は木版画を制作していなかったので弟子のトマスにまわってきたのが初仕事になった。それ以来木版画の腕を磨くことになる。独立してからトマスはロンドンへ出たが、あまりの人の多さと街の汚さに閉口しすぐに郷里へ戻ってきた。弟ジョンとともにニューキャッスル(Newcastle)に店を開き、以後五十年間にわたり多くの生徒や弟子を育てた。イングランドで木版画がアートとして認められるようになるために大きな貢献をしたのである。一七八五年に『General History of Quadrupeds』そして一七九七年と一八〇四年に大作『History of British Birds』二巻を出版している。以上は本書より。詳しくはウィキなど参照あれ。

Thomas Bewick From Wikipedia

トマス・ビュウィック


さて本書は町家古本はんのきの新店舗で求めたものだが、これをめくっていて、おやまあ、これもあれも、それも……と小学読本に類似した挿絵を発見して驚いたり喜んだり。そのごく一部をここに掲げてみる。

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馬は昨日の図版をご覧下さい。これらの他にもレストランなどの描き方もかなり似通っている。もちろん、すべてがビュイック画派の真似ではないし、日本特有の風俗はそれなりに和風に表現しているものも多くあるのだが、いずれにしてもそれらのタッチは浮世絵の流れからは離れてしまって独特の世界を創り出しているように思う。




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# by sumus2013 | 2016-08-27 20:34 | 古書日録 | Trackback | Comments(0)

もよおしいろいろ

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今井雅洋
2016年9月12日〜10月16日

クラインブルー
***



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木村伊兵衛、花その他
2016年9月7日〜26日

銀座 中松商店
〒104-0061 東京都中央区銀座 1-9-8 奥野ビル313号室


***



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今、甦る! 木琴デイズ vol.6
2016年11月16日
京都文化博物館

通崎好み製作所
http://www.tsuuzakimutsumi.com/note/今、甦る!木琴デイズ.html


***




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Portraits 女性アーティストの肖像
松本路子写真展
4月28日〜9月5日

軽井沢現代美術館
http://moca-karuizawa.jp


***




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辰野登恵子の軌跡
7月5日〜9月19日

BBプラザ美術館
http://bbpmuseum.jp

***


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# by sumus2013 | 2016-08-27 17:14 | もよおしいろいろ | Trackback | Comments(2)

小学読本便覧挿絵

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昨日に引続き『改正小学読本便覧』より、その挿絵をいくつかご覧にいれたい。明治初期の木版時代の教科書にはこのような稚拙なというか可愛い挿絵が多く掲載されている。遊星ノ図はほぼ同じものがこちらにも出ている。

師範学校編纂『小学読本 卷之四』(文部省刊、一八七五年)

管見の及ぶかぎりで言えば、多くは和洋折衷というか洋風なカットである。和風になるのは明治も中期以降であろうか。たとえば以前取り上げた三種の読本を較べると分りやすい。

師範学校編纂『小学読本卷一』(文部省、一八七五年)

『帝国読本巻之三』(小林八郎、明治二十六年再版)

『尋常小学校読本 卷三』(文部省、博文館、一九〇九年)

明治初期の文部省小学唱歌の多くがイギリスなどの民謡や俗謡だったりするのと同じで、教科書の挿絵も外国のスタイルをそのまま取り入れていたのだろうと思う。その原画を描いたり彫ったりしたのは浮世絵や草双紙の出版にたずさわっていた人々だったろうし、和風な風物も描くわけだから、稚拙ながらも、そこに何とも言えない味わいが出て来るということにもなる。こういう教科書カットを集成したらさぞ面白い本ができることだろうと思う(すでに存在していれば御教示を)。

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《書肆[シヨシ]ホンヤ》当時の日本国にこんな書店があったのだろうか!


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《椅子[イス]コシヲカケルモノ 着[ツク]》《智慧[チエ]コゝロノハタラキ 貴[タツトシ]》


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《贈[オクル]テガミヲヤルコト》


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《才[サイ]チエ 適[テキ]》


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《主人[シユジン]アルジ 今余所[イマタシヨ]ホカノトコロ 上着[ウハギ]マンテル 肘[ヒジ] 見[アラハシ]ダシテヰル 僕[ボク]メシツカヒ》


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《馬[ムマ]オホイナルケモノ 乗[ノル] 疾[トク]ハヤク 鞭[ムチ]ムチニテウツ》


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《鬣[タテガミ]ムマノクビスジノケ 背[セ]セナカ 輸[オクル]ハコビツカハス 載[ノセ]》


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こういう版画の味を生かしたのが川上澄生だったと思えば、なるほどと納得がいく。下記投稿にそんなことをチラッと書いていたことを検索してみて思い出した。

『普通教育植物学教科書』


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# by sumus2013 | 2016-08-26 20:09 | 古書日録 | Trackback | Comments(0)

小学読本便覧

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水渓良孝抄録、遠藤茂苹書画『改正小学読本便覧』(田中治兵衛=文求堂、一八七六年二月発兌)。水渓良孝については以前も紹介したことがある。

水渓良孝編『小学入門便覧』

遠藤茂苹については不明。五雲斎と号し、他に『内外國旗暗誦表』(水谷仁兵衛、一八七二年)、『小学入門便覧』(田中文求堂、一八七七年)、『小学入門便覧』(山川圓々堂、一八八〇年)の書画を担当している。後二者は同じ水渓良孝の編輯ながらリンクした『小学入門便覧』は国井応文画である。どう違うのだろう?

読者の方より御教示いただいた。「遠藤茂平」で検索すれば著書等いろいろと出て来ると。なるほど、クサカンムリなしですか……。

宮川禎一「描かれた古墳出土品—明治十四年の発掘調査—」@京都国立博物館『学叢』ホームページ版 第27号
-----
この『学叢』の論文中(p.92)に、「遠藤茂平の業績は、幕末史研究者である多田敏捷氏によると、幕末の京都で出版業を営み、維新直後は新政府太政官の印刷業務などを請け負っていたという。また京都国立博物館が収蔵する「伏見鳥羽戦争図草稿」を描いた遠藤蛙斎と同一人物である。」とあります。

遠藤蛙斎の「伏見鳥羽戦争図」は実際に目撃したのかどうかは別として、なかなかリアルなデッサンで、当時の状況を身近に感じさせてくれるもの。出版業もやっていたとは興味深い人物である。


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この本、表紙は少しいたんでいるものの色刷り口絵が良い状態で残っている。左下隅に「五雲斎茂苹画」と署名がある。明治初めの小学校の授業風景。色分けされた日本地図のスクロール、「精神一到何事不成」(朱子語類より)の大きな額、そして唐草の布で覆われた台の上には地球儀と立体模型、教科書は和綴じ本、生徒も先生も袴に西洋靴、椅子はベンチで床板がチェッカーになっている。ごちゃまぜのパスティーシュ、まさに転形期を絵に描いたよう……って絵でした。

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定価は朱印で「定價拾五銭」、検印は著者による「良孝」朱文角印。著者の住所は「京都府下下京第十八区萬寿寺通烏丸東入四百九十五番屋敷」……烏丸五条の近くだ。


小さな木版のカットがたくさん入っている。これが楽しいので明日以降いくつか取り上げて見たい。


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# by sumus2013 | 2016-08-25 20:54 | 古書日録 | Trackback | Comments(0)

千代屋旅館

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本日は絵葉書を。右下隅の説明は

  (伊豆大島)
    驢馬の風姿

……なのだが、ロバよりも向うに見えるラクダに目を奪われた。昭和の初め頃にゴビ砂漠から連れて来られたようだ。大島公園動物園には現在もラクダが飼われている。

三原山にいたラクダの資料

「大島に来たラクダのはなし」

伊豆大島のラクダさんの思い出

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絵葉書の宛名面には赤色のスタンプあり。

  渡島記念
  10.68
  伊豆大島元村
  千代屋旅館

昭和十年だろうか? この千代屋旅館を検索してみてビックリ。つげ義春の父・柘植一郎が千代屋旅館に板長として務めていたそうだ。腕の良い職人だったらしい。また古くから皇族や政府要人、著名な画家たちも宿泊し、有名なところでは和田三造の「南風」(一九〇七年)も大島での漂流体験を題材にしたものだという。

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この絵は竹橋の近代美術館にある。学生の頃によく通ったものだ。当時はこういう手堅い写実が好きだった。今、見ると、波が荒いわりに船上の人物があまりに静かすぎる。まるでモデルみたいに立っていたり座ったり。体験にもとづくと言うわりには作り物めいた仕上がりである。

伊豆大島発「和田三造と大島」

代屋旅館は昭和四十年に焼失したそうだ。

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# by sumus2013 | 2016-08-24 19:58 | 古書日録 | Trackback | Comments(0)

三〇歳の賭け!

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『絆』第三巻第二号(きづな社、一九八三年一月二五日)という雑誌を某氏が送ってくれた。深謝。その理由はこの記事だ!

 脱サラ列伝 三〇歳の賭け!
 酒肆「トウトウベ」オーナー 安田有さん

安田さんとは『ARE』という雑誌をやっていたときに平居謙君が「奈良に面白い古本屋があるんですよ!」と教えてくれて知り合った。店主が詩人であり、かつて新宿ゴールデン街で飲み屋をやっていた、と。それはいい、ぜひインタビューを、ということで第五号(一九九六年五月)の古書店紀行に登場してもらったのである。

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『ARE』5号 古書店紀行「キトラ文庫」より


ということは二十年のおつきあい。安田さん、根っからの文学青年で、いつも何かしらの本格的な文学・思想雑誌を発行しておられた。読書会なども熱心にやっておられると聞いたが、誘われたものの参加せず。小生は『coto』に好き放題書かせてもらったことに深く感謝している。毎回ほぼ字数制限なしだった。


同人雑誌や個人雑誌に原稿を頼まれることがあっても、たとえば二千字以内で、とか、短いものを求められることが多い。これは編集する側からすれば当たり前なので批難するには当らない、とは思うものの、どの雑誌をみても、短いものをソツなく上手に書いたエッセイを集めたものばかりで、物足りないことはなはだしい。ところが安田さんの出していたのはごっつい論考がギッシリという全共闘世代ならでは(?)の雑誌だった。『coto』はさすがにもっと軽やかではあったが、それでもかなり長い駄文も許してくれた(というか何も言わずに載せてくれた)のは稀有というべきである。

『絆』の記事によれば、安田さんは二十二歳で上京してから、あらゆる職業を転々としたらしい。三十過ぎて独立を決意。ゴールデン街で酒場を開く、と言って友人たちを驚かせた。

渡辺英綱『新宿ゴールデン街』

この記事は開店五年目のころ。水商売が性に合っていたかどうかは知らない。しかし個人営業に向いていたことは間違いないだろう。

《店を締め、近くにある2DKの貸家に帰ると三時半。起きるのは十時頃。それから店を開けるまでの時間が自分の時間になる。このひとときが得られたのが、無上の喜びであるそうだ。好きな詩や小説を書いてすごす。もしかしたら、この時を持つために安田さんは、思い切った転身をはかったのではないだろうか……。
「純粋な文章を書きたい、ということは常々思っていたことですが、それが実現したということですね。店をやっていると、いろいろな層の人が来ますから、人間のナマナマしさが見えて、文を書くには役に立っているなと思います」》

安田有『スーパーヒーローの墓場』

『ARE』五号によれば、ここから更に七年、都合十二年間営業をつづけたそうだ。

最近では、五月のみやこめっせと下鴨納涼古本まつりでお会いするのが楽しみだった。ちょっと挨拶を交わす程度なのだが(ときには缶ビールをごちそうになったことも)、それでもお元気そうで何よりと思うだけでいいのである。ところが残念なことに今年の下鴨には出店しておられなかった。野外の即売会はかなりしんどいと前からおっしゃっておられたが……。さびしいことこの上なし。

『莢 キトラ文庫在庫目録』


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# by sumus2013 | 2016-08-23 20:23 | 古書日録 | Trackback | Comments(0)

清明節

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鈴木潤『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』(アノニマ・スタジオ、二〇一六年六月五日)読了。このところ紹介してきたのは少部数の入手困難な本ばかりだったが、本書は新刊書店で求められる。潤さんは言うまでもなくメリーゴーランド京都の店長。個展ではいつもお世話になっている、というか個展しませんかと誘ってくれたのも彼女である。むろん「トビラノさん」の奥さんでもある。だからよく知っているつもりだったのだが、この本を読んで驚いた。何にも知らなかった。まず、潤さん、じつに上手な文章を書く。メリーゴーランド京都店のオープン、結婚、長男誕生、その子育てがなんともスローな感じでキビキビと描かれている。潤さんの子供時代をからめながら京都の日々が語られて、いつのまにか親戚のおじさん感覚におちいってしまった。元々メリゴのブログに掲載されたもの(2008〜2013)を加筆修正したとのことで、今まで読んでいなかった自分を反省した。ほんとに面白いのです。

メリーゴーランド京都店より・・・本を読む日々


***


『陶庵夢憶』より「揚州の清明節」。清明は二十四節気の第五。四月五日頃になる。墓参りをするので掃墓節とも呼ばれ、日本でいえばお盆に相当する。

揚州では清明節になると、城内の男女は一人残らず出払って、どこの家でも墓詣りに行く。家によっては墓が数ヵ所あるにしても、その日のうちに必ず展墓をすますことになっている。だから軽車駿馬に乗り、画舫に笛太鼓を載せて、再三折り返し、往復するのを辞さぬ。門番などのような下層階級の家でも、酒肴や紙銭を携え、墓所まで行って、祭りが終ると、地上に蓆を敷いて、お供えのお下がりを飲み食いする。

 鈔関、何門、古渡橋、天寧寺、平山堂の一帯から、美しく化粧した人たちが野面を飾り、きらびやかな服装が川辺を色どる。それについて物売りが路傍に骨董古物や小児の玩具などを並べている。
 
 博徒は小さな腰掛を持ってきて、空き地に腰掛け、左右に女の肌着、上衣、半袖、薄絹の裙[スカート]、汗〓[巾+兌、ハンカチ]、銅の香炉、錫の銚子、磁器の杯、漆塗りの手箱、さては豚の肩肉、鮮魚、秋梨、福州蜜柑といったものを並べて、仲間を呼び寄せ、銭を地に投げている。》

《そんなのが何十人何百人からおって、人々は環をなして見物している。》

《長い堤の草の茂ったところでは馬を走らせ鷹を放つ。あちこちの丘では闘鶏や蹴鞠をやり、涼しい林の木蔭では阮咸[月琴]や箏を弾じ、遊び人の相撲、子供の紙鳶[たこ]あげ、老僧の因果物語、盲人の講談などが行われていて、多勢の人々が立ったり、しゃがんだりしてそれを見物している。》

《日が暮れて靄が立つと、車馬が雑踏し、お役人の家の奥方や令嬢は、車の幕をことごとく開き、腰元たちは疲れきって帰りを急ぎ、山の草花を斜めに挿[かざ]しながら、ぞくぞくと先を争って城門に入るのである。》

《あとからあとから長々と三十里近くも伸びており、いわば画家の描いた絵巻物の観がある。南宋の張択端[ちょうたくたん]は『清明上河の図』を描いて抃京[べんけい]の景物を追慕し、「西方の美人」の思いがあった。わたしとしても眼を見張って、夢想せずにおられようか。》

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# by sumus2013 | 2016-08-22 20:17 | 雲遅空想美術館 | Trackback | Comments(0)

茶館「露兄」

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石原輝雄『マン・レイへの写真日記』(銀紙書房、二〇一六年八月二七日、限定二十五部)。前著からほぼ二年、石原氏のマン・レイとの関わりをコレクションとともに開陳した写真入り回顧録と言っていいだろう。ギャラリーときの忘れものブログを元にしつつ書き下ろしを加えたとのこと。詳しくは下記。ただし、ほぼ即日完売……さすが。

『マン・レイへの写真日記』刊行のお知らせ

小生は石原氏の存在を知ったのが一九八三年。この本にも書かれているが、京都三条高瀬川のビルにあったRギャラリーで氏の「マン・レイ展」を見たときだった。すごいコレクターがいると驚いてしまった。その印象が強くあって『sumus』第二号(二〇〇〇年一月)にインタビュー記事を掲載させてもらうことになったのである。久しぶりに読み返してみたが、我ながらよくまとまっている。他にも一九七五年のシュルレアリスム展、トアロード画廊(小生はこの画廊で個展をさせてもらっている!)、児玉画廊、アトリエ・チサト……などが本書には登場して、小生自身の歩みを振り返る場面も多かった。

マン・レイと京都の人たち 三條白川橋上る

光の時代展カタログ


***


『陶庵夢憶』より「露兄」。喫茶店の話である。

《崇禎六年[1633]、好事家が茶館を開いた。泉は正真正銘の玉帯泉[ぎょくたいせん]、茶は正真正銘の蘭雪茶、湯はいま煮たばかりのもので古い湯は使わぬ。器はその都度洗って、よごれた器は使わぬ。その火加減、湯加減も時に天の引き合わせかと思われるものがある。わたしはこれを喜んで、その茶館に「露兄」という名をつけてやった。米顛(米芾)の「茶甘く露に兄あり」の句から取ったのである。》

張岱はさらに『闘茶の檄』を作った。要するに広告文である。

《水淫と茶癖は、今日なお古風が残っていますし、瑞章と雪芽は、昔から越絶(越の特産)と称せられています。》

瑞章[ずいそう]と雪芽は茶の名。雪芽茶を張岱は蘭雪茶と名付けた。

闘茶には蘭雪茶を使います。瓜の種、炒豆には、何も瑞章橋辺のものでなければということもありますまいが、蜜柑、柚、査梨[さり、ヒメリンゴ?]は、仲山圃の中で出来たものであります。

お茶に合わせるスィーツは果物であった。仲山圃は不詳。

《『七碗は飲みきれぬ』といった廬〓[どう、やね+工]は、茶の味を解する人とは申せません。いでや茶壺を囲み払子を揮いつつ、思うさま清談を楽しみ、半榻[はんとう]に香を焚いて共々におちゃけ[四字傍点]酔払おうではありませんか》

廬〓は唐の詩人。「筆を走らせて孟諌議が新茶を寄せらるるを謝す」という詩に「七碗にして喫し得ず」とあることを指している。おちゃけに酔うの原文は「白酔」だとのこと。

茶と酒は対立して論じられることが常であった。青木正児『抱樽酒話』(アテネ文庫、一九四八年)に納められている「酒茶論」によれば、もともと茶は酒の敵ではなかったが、茶は南方の飲料として晋代頃からようやく流行し始め、唐の中頃に陸羽『茶経』が著されたあたりから盛況を呈して来た。

《製法も進んで精品を出すやうになつた。かうした趨勢で茶の飲料としての品位が次第に高まり、遂に増長して「酒」と勲功を争う「茶酒論」の如きものが戯作さるゝに至つたわけであらう。我が蘭叔の「酒茶論」の出現も、室町時代茶の湯の勃興した世相の反映たるに外ならぬ。結局此の論戦は和漢共に新興勢力の旧勢力に対する抗争と見なすべきである。》

おそらく張岱グループの茶館というのも、あるいはそんなヌーヴェル・ヴァーグの文化的アイコンだった、のかもしれない。松山省三のカフェー・プランタンも同様な現象だったと思われる。


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# by sumus2013 | 2016-08-21 17:31 | 喫茶店の時代 | Trackback | Comments(2)